「確固たるビジョンを持っていた」。ラグビー関係者は惜別の念を口にする。「ミスターラグビー」と称された平尾誠二氏が2016年10月、53歳の若さで亡くなった。
京都・伏見工業(当時)では1981年の全国高校ラグビーで優勝。同志社大では史上初の大学選手権3連覇の中心選手だった。神戸製鋼入社後は7年連続日本一を達成した。
史上最年少で日本代表にも選ばれ、ワールドカップ(W杯)に3回出場。91年にはジンバブエを下し、日本のW杯初勝利に貢献した。現役引退後、99年のW杯では日本代表の監督を務めるなど、つねに日の当たるラグビー人生を歩み続けた。
だが、周囲が語る人物像は、「大スター」というイメージから程遠い。平尾氏率いる日本代表でプレーした岩渕健輔氏(現日本ラグビーフットボール協会日本代表ゼネラルマネージャー)が話す。「いろいろな見方をするだけでなく、いろいろな考え方を許容できる人だった」。
岩渕氏のプレーは変幻自在。“想定外”のトリッキーなスタイルが魅力だった。平尾氏がそれに注文をつけることはいっさいなかった。
同志社では平尾氏と同期で、同氏の監督時代に日本代表のヘッドコーチを務めた土田雅人氏(現サントリービバレッジソリューション社長)は「根底ではチームワークを重んじるが、単なるイエスマンではなく違った発想をする選手も代表には必要と言っていた」などと振り返る。
平尾氏とともに神戸製鋼でプレーした藪木宏之氏(現日本ラグビーフットボール協会特任理事)は入社した88年の11月、平尾氏から突然、内線電話で連絡を受けた。「早めにグラウンドに来てくれ」。
グラウンドでは平尾氏に言われるまま、10〜15分間タッチキックの練習。それを見た平尾氏は藪木氏をスクラムハーフからスタンドオフへコンバートすることを決めた。
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