メルシャン「新ワイナリー」、熱烈人気の裏側 ブドウ畑と長野・上田市の理想的な関係
ブドウにストレスを与えないぜいたくな環境
北陸新幹線で東京駅から90分ほど。上田駅から乗ったタクシーは、四方を山で囲まれた上田盆地を走り始めた。長く続いた平坦な道が坂道に変わり、勾配を上りきると目の前に緑の丘が広がった。椀子ヴィンヤード(ブドウ畑)だ。そのほぼ中央に、今年9月にオープンした「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー」の白い建物が見えた。
建物の中に入ると出迎えてくれるのが、ガラスの向こうに広がる樽庫と醸造エリアだ。2階に設けられているのは、ワインショップとテイスティングカウンター。ブドウ畑を眺めながらワインを楽しめるという、なんともぜいたくな造りである。しかし最も特徴的なのは、ワイナリーが畑の中央にあることだ。
収穫されたブドウは、一度皮が破れるとすぐに発酵が始まるが、輸送の際に果実自体の重みや車の揺れにより、どうしてもブドウ同士がこすれてしまう。畑の中央にワイナリーがあることで、ブドウの輸送にかかる時間が短縮され、ブドウにストレスを与えずに済むというわけだ。この理想的なワイナリーが実現した背景には、日本ワインを黎明期から支え続けるメルシャンと、上田市丸子地区との運命的な出合いがあった。
遊休荒廃地が見事にブドウ畑に生まれ変わった
歴史をたどると、1877年に設立された「大日本山梨葡萄酒会社」が、メルシャンの源流であり日本ワインのルーツだ。その思いと理念は、140年の時を超えてメルシャンに受け継がれてきた。
「より広い畑でいいブドウを造りたいと考える中で出合ったのが、上田市の丸子地区にある陣場台地でした」。同社でシャトー・メルシャン・ブランドマネージャーを務める尾谷玲子氏は、椀子との出合いをこう振り返る。「ワイン用のブドウは糖度が高く、水分量が少ないのが特徴です。栽培に適した土地の条件は『雨が少ない・日照量が多い・風が強い・水はけがいい』こと。陣場台地はこれらをすべて満たしているうえ、十分な広さがあったのです」
しかし数十年前から、陣場台地の農地の多くは遊休荒廃地となっていた。そこで、地元の有志が団結し陣場台地の活性化のために奔走。メルシャンからブドウ畑への打診を受けて、地権者を取りまとめブドウ畑造りの同意を得た。彼らの強力なバックアップを受けてオープンした椀子ヴィンヤードでは、ブドウの栽培や収穫などで、地元のシルバー人材が活躍している。
「何よりうれしいのは、地元の方々に『椀子ヴィンヤードは自分たちのブドウ畑』という意識が強くあること。ワイナリーを要望する声もたくさんいただいていましたが、このたび、ようやくワイナリーをオープンすることができました」(尾谷氏)
技術やノウハウを広く公開してきた理由
地元密着の要素は、雇用面だけではない。ワイナリーで販売されるランチやおつまみは、地元の人々が地元の食材を使って作っている。「椀子ワイナリーのテーマは『地域・自然・未来との共生』です。ブドウの栽培には地域・自然との調和が欠かせませんし、よいワイン造りを続けるには、未来との共生という観点も必要です」(尾谷氏)。
ヴィンヤードの一角では、地元の小学生がジャガイモを栽培している。まさに、農業の未来との共生といえるだろう。こうした発想は、同社勝沼ワイナリーの工場長などを務め現代日本ワインの父と称される、故・浅井昭吾氏から脈々と受け継がれてきた哲学だ。
「当社は、いいワインを追求する過程で得たブドウ栽培やワイン醸造の技術とノウハウを、ほかのワイナリーやブドウ農家に広く公開してきました。ワイン産地として世界に認められるには、特定の地域だけでなく日本ワイン全体のレベルアップが必要だからです。『成功体験は、業界全体でシェアしよう』という考え方を基に、日本ワインを牽引してきた自負があります」と尾谷氏は振り返る。
こうして地域と共生しながらワインを造り続け、椀子ワイナリーが誕生したというわけだ。「椀子ワイナリーが、地元の方が集う場所になったり、ひいては上田市の活性化の一助になったりすればうれしいですね。長野にはワイナリーが多く生まれていますから、今後はほかのワイナリーともっと深く交流し、長野のワインツーリズムを盛り上げていきたいと思っています」(尾谷氏)。