
※健康経営は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です
経営戦略としての健康経営を実現するには
―なぜ今、企業は健康経営を推進すべきなのでしょうか。
未来ビジョン研究センター
データヘルス研究ユニット
特任教授
古井 祐司氏
2000年東京大学大学院医学系研究科修了(医学博士)。専門は予防医学、保健医療政策。04年東京大学医学部附属病院助教、ヘルスケア・コミッティー株式会社代表取締役就任。18年1月より現職。内閣府経済財政諮問会議専門委員、自治医科大学客員教授、花王エグゼクティブ・フェロー等も務める。主な著書に、「健康経営エキスパートアドバイザーテキスト、東京商工会議所編, 2019」(監修)、「社員の健康が経営に効く、労働調査会, 2015」等がある。
古井 理由は2つあります。1つ目に、少子高齢化の影響で、職場の平均年齢が上昇していることがあります。ここ40年間で実に7歳ほど上昇しているといわれており(出典:総務省統計局労働力調査)7歳上がれば、その職場で病気になる人の割合は2倍になると算出されています。例えば、100人の会社で考えると、昔は高血圧の人は職場で5人だったところ、現在では10人以上いるという構造です(出典:厚生労働省第5次循環器疾患基礎調査)。平均年齢が上がったことで企業の健康課題が顕在化するようになったといえます。
2つ目には、あらゆる業種で人が足りなくなっている今、自社を選んでもらうために企業価値を高める必要性です。就職する若者や転職者は、その企業がどれだけ人を大切にしているのかを新たな価値基準として持つようになりました。いわば、経営者の人材に対する姿勢がより問われるようになり、それが社会での企業の評価にもつながるということです。
―そもそも健康経営の定義とは何なのでしょうか。
古井 健康経営とは、重要な経営資源である従業員の健康に投資をすることで、従業員と企業の双方が持続的成長を遂げる経営戦略の1つだといえます。私は予防医学研究を進める中で、予防医学をより社会に浸透させるためには、自身の健康が二の次になりがちな働き盛り世代にこそ、職場という日常生活の動線を活用し、アプローチすることが有用だと感じました。
政府が「骨太方針2016」において、「データヘルス」と「健康経営」を両輪に、働き盛り世代の健康、企業の生産性の向上を図るという政策を掲げたこともあって、現在では大企業や中小企業を含めた1万社を超える企業が健康経営に取り組んでいます。ただ、実際に自社の健康課題に対して、有効な取り組みを実践し、評価・見直しのサイクルを回している企業となるとわずかであるのもまた、現状です。
―健康経営には具体的にどのようなやり方があるのでしょうか。
古井 まずは自社の健康課題を知ることです。「データヘルス」の面でいえば健康保険組合や全国健康保険協会(協会けんぽ)の特定健診データから、自社の特徴を知ることができます。例えば、工場などの職場では肉体労働が多いため、炭水化物や、塩分の摂取量が増え、その結果、若い世代から肥満で血圧の高い傾向があります。一方、営業系の職場では顧客都合で食事の間隔が不規則になったり、宴席が多くなるなど、血糖値が上がりやすい傾向がある。まず、こうした自社における健康課題とその背景を把握することで、有効な対策が見えてきます。ある運送会社の事例ですが、同業他社に比べてメタボリックシンドロームになる従業員が増えていたため、毎朝点呼をする台の下に体重計を設置することにしました。その結果、多くの従業員は体重が減少し、健康に関する会話が増え、健康へ取り組む意識が高まったそうです。
このように課題を把握し、日常の動線上で解決策に取り組むことは非常に重要です。そして、健康経営の取り組みにおいては、経営者や職場のリーダーが、従業員に寄り添い、取り組みに対し評価することも大切です。企業として従業員と一丸となって取り組むことで、職場のコミュニケーションや創造性の向上にもつながることが健康経営のダイナミズムといえます。
健康経営で得られる企業のメリットは1つではない
―健康経営が生み出すメリットとは何でしょうか?
古井 健康経営によるメリットは、その取り組みの進展で複合的に表れますが、大きく4つあるといえます。1つ目は従業員が健康になって、生き生きと働くこと。私たちの研究では、従業員の健康増進は仕事に対するモチベーションや労働生産性の向上にも影響を与えていることが示されています。体調不良に伴う労働生産性の損失額は年間1人当たり170万円にも及び、健康な従業員に比べて100万円以上高くなっていました(出典:古井祐司、村松賢治、井出博生「中小企業における労働生産性の損失とその影響要因」/日本労働研究雑誌 2018年6月号 No.695 49−61)。2つ目は健康経営によって、取引先や株主といったステークホルダーからの評価が高まること。3つ目はコミュニティーの活性化です。健康経営の先進企業は他社のお手本になることが多く、地域住民にとっては誇りとなり、地域社会全体における健康への関心を高めることにつながります。4つ目は環境に与える影響です。これは環境経営の取り組みなどと同様に、健康経営を続けることで、持続的社会の実現に貢献できるのです。
―他方、海外の健康経営に関する取り組みはどうでしょうか。
古井 海外でも健康経営の取り組みは進んでいます。スリランカのように日本の健康経営をそのまま輸入する国もあれば、米国では今年から「カルチャー・オブ・ヘルス」というプログラムが創設される大学もあり、企業や自治体などで健康文化を醸成するためのリーダーシップ研修が始まっています。ただ、海外においては日本のような皆保険制度がない国がほとんどであり、健康データの高い捕捉率を背景に、職場や地域の健康課題を可視化する「データヘルス」を活用できる強みは日本が一歩抜きんでているといえるでしょう。
東京大学でも、全国の健康保険組合のほぼ100%に参画をいただき、2018年1月より「データヘルス・ポータルサイト」を本格稼働させました。今後、職場や地域の健康課題を解決する効果的な取り組みを、業種や働き方によってパターン化し、皆さんに広く活用していただきたいと考えています。そうして作り上げたノウハウが、日本だけでなく世界の健康課題を解決するソリューションとして活用される日もそう遠くないのではと感じます。
―今後、健康経営は日本でどのように浸透していくとみていますか。
古井 健康経営に取り組みたいという経営者は増えており、むしろ、どうすれば健康経営の効果が出るのか、その方法を探る第2ステージに入っていると感じています。先行している取り組み事例や官民のサービスを活用することも次の一歩につながると思います。