
働き方改革関連法案が施行され、企業はかつてないほど、長時間労働の是正に真剣に取り組まなければいけない状況になっている。従来は当たり前に行われてきた「残業」は、生産性を高めるための多様な働き方を推し進めていくうえでも障壁となっている。「残業」は企業経営にとってどんなリスクがあるのだろうか。パーソル総合研究所とともに2万人規模の調査を行い、データに基づき「残業」を徹底的に分析した『残業学』(光文社新書)著者である立教大学の中原淳教授に聞いた。
「残業文化」が根付いてしまう仕組み
「いちばんの問題は採用ができなくなり、人手不足がさらに深刻になることです。それが深刻になると、今度は事業継続ができない、事業拡大ができない、という問題が生まれる。また、過労死や過労自殺が発生した際の企業のイメージダウンは半端ではなく、レピュテーションリスク(企業の信用やブランド価値の低下)をもたらします。長期的にはイノベーションの創出を阻害するでしょう。画期的な商品やサービスは長時間働けば生まれるものではなく、いろいろな人や物事に出会い多様な経験と学習をする中から創出されるもので、ずっと会社の中で目先の仕事に追われていては、新しいものは生み出されません」
そもそも、なぜ日本企業では残業がよしとされてきたのだろうか。
まず、残業は上司にとって部下のやる気を測るわかりやすい指標になりがちだ。「〇〇君、遅くまで頑張っているね」と長時間働いている人が評価されると、同じような価値観が「感染」し、規範として内面化される。さらに残業文化を内面化した上司がマネジメントする職場では、残業文化が「遺伝」して残業をよしとする文化が広まっていく。
職場の同調圧力は、非常に強固だ。本心では皆「疲れたから帰りたい」と思っていても、口には出せなくなってしまう。誰に刺されるかわからないからだ。そして、「誰一人として望んでいない残業」を、誰もが口に出せず「規範」として思い込むという状態が生まれる。これは、社会心理学では「多元的無知」と呼ばれる状態である。いったん、「残業」の習慣が「規範として思い込む状態」が生まれてしまうと、これを解除するのは非常に困難である。職場の同調圧力が怖くて、多くの人々は勇気を出して、これを変えようとは言えない。
また、「残業代」という制度も、残業文化を定着させる大きな要素の1つである。
「残業代は一度もらってしまうと、それを含めた額が本給だと勘違いしてしまう。その結果、多くの家庭が残業代ありきで家計を適応させてしまいます」
つまり、家庭生活のあり方も、残業代ありきの状態に「最適化」されてしまう。いったん、こうした形を家庭が「学習」してしまうと、これを解除するのは極めて困難だ。だから、会社を早く帰るように言われたサラリーマンは、なかなか家に帰ることができない。居場所がないだけでなく、残業代を稼いできてほしい、という無言のリクエストが加わる。かくして、帰りたくても帰れない、家に居場所がないサラリーマン、すなわち「フラリーマン」を生んでいるのである。
働き方改革を有効にする3つの施策
政府の「働き方改革」推進もあって、多くの企業では「ノー残業デー」や「定時オフィス消灯」などの残業抑制策が実施されるようになったが、その効果は企業によってまちまちで、形骸化してしまった企業も少なくない。
部下に残業をさせられなくなった上司がその分の仕事を引き取らざるをえず管理職の業務が過重になったり、大企業の残業抑制策のシワ寄せが下請け企業に及んだりと負の側面も目立つようになってきた。
残業抑制策に実効性を持たせつつ、負の側面を避けるにはどのようにすればよいのか。
「企業が残業防止施策を含め働き方改革に取り組むとき、まず重要なのはトップが腹をくくることです。これがすべての前提、すべての条件です。これがない中で、長期にわたって学習されてしまった労働慣行を解除することは不可能です。長時間労働の是正は戦後、これまでに3回問題になったのにいまだ解決していない難問中の難問なのです。そのうえでノー残業デーなどの施策で労働時間に境界を設け、強制的に残業をさせないタイプの『外科手術』と、職場ごとにやらないこと・重視することを決めるといった、中長期的な効果を狙い組織ぐるみで取り組む『漢方治療』、マネジャーのマネジメント能力を高める『体質改善』という3つの施策をセットで実施して、ようやく落としどころが見え始めてきます」

中原教授は「失敗する企業には大きく2つのパターンがある」と指摘する。1つは外科手術だけ実施し、あとは放置するケース。もう1つは施策を小出し、あるいは分散して実施して社員が「改革疲れ」を起こしてしまうケースである。ある企業では10近い部門がバラバラに長時間労働是正策を始めてしまい、タコツボ化して現場を混乱させているという。
「結局、成果を出すには作戦が必要なんです。トップが働き方改革の目的を『政権の施策だから』、『人事的にやらなければいけないから』と説明している企業はうまくいきません。トップ自身が経営課題として捉えていないからです。それでは現場の管理職や社員を巻き込むロジックはつくれません。『これはわが社の持続的発展のために必要な取り組みである』と認識することが何より必要です」
「長時間労働」から「長期間労働」へ
日本企業の生産性の低さが指摘されて久しいが、生産性を上げるには新しい物事に投資して既存のビジネスを置き換えるような商品、サービスをつくっていくことと、社員のスキルや能力を底上げし、高いスキルを持った社員に長期的に働いてもらうことが重要である。
ところが一般に日本企業の人的投資は新入社員の時期に偏っていて、後は「とにかく働け」となり、長時間労働に従事するため学びから遠ざかってしまう。22時まで働いて23時に帰宅する毎日だったら、学ぶ気力など起きないだろう。
つまり、企業は社員の学びに対して金も時間も与えず、社員には学ぶ余力やネットワークを構築する時間もない状況がある。これでは社員のスキルや能力は向上しないままであり、新しいことに興味がなく、1つのことを粛々とやり続けるしか能のない、市場価値ゼロの人材しか育たないのである。
立教大学経営学部教授
立教大学経営学部ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)主査、立教大学経営学部リーダーシップ研究所副所長などを兼任。博士(人間科学)。東京大学教育学部卒業、大阪大学大学院人間科学研究科、メディア教育開発センター(現・放送大学)、米・マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学講師・准教授等を経て、2018年より現職。
「経営者や管理職には『長時間労働をやめたら若手が育たなくなる』という方が多い。しかし、長時間労働をやめれば仕事量は減りますが、育たなくなるかどうかは別の話です。むしろ長時間働けば働くほど時間と気力が減って、長期間働くためのスキル形成を阻害します。とくにトップは、持続可能な職場をつくるためにいま存在する経営課題を見える化し、何を選択し、何を評価するかの方針を固めることに職場ぐるみで取り組むことが必要です。結局のところ、ルールを守っている会社にとっては『働き方改革』は選択の問題にすぎません。するかしないかは、経営者の好きなようにすればいいですが、変化を嫌う会社が、優秀な人材に選ばれるとは思えません」
長時間労働は、従業員に自由な時間を与えないため、必然的に外部から遮断することにつながり、人材を囲い込むことができていた。それが、SNSやブログなど、さまざまなツールの発達により情報が入手しやすくなった現代では、不可能になっている。いかに優秀な人材を惹きつけられ続けるかが、淘汰されないためのカギとなる中、残業文化の慣行を放置しておくことが企業にとってどういうリスクを持つのか、経営者は今一度考えなければいけなくなっている。