村上龍シリーズエッセイ「独創性とは何か」 世界中の森を愛する人に与える希望とは?
母との散歩
父が亡くなってから、母を横浜の自宅に呼び、同居をはじめた。それまではわたし一人で、愛犬のシェパードを連れて、近くの公園に散歩に行っていたのだが、母もいっしょに行くことになった。母は、教師で、もちろん家事もこなし、わたしと妹を育てた。子ども心にも忙しそうだったから、甘えたことは言えなかったが、いつもいっしょにいられないことで、ふと寂しさを感じることもあった。そういったことも手伝って、犬を連れての、老いた母との散歩は、貴重な時間となった。
公園は、横浜市と川崎市の境目にあり、とても広く、ラウンドスケープデザインも気に入っている。中央付近にポツンと、小規模なフィールドアスレチックなどがあるだけで、広々とした原っぱの周囲には、公園として開発される前の雑木林がそのまま残してある。「小さな森」が残されているのだ。冬には落葉の絨毯ができて、春に芽吹き、夏にはセミの合唱が響き、秋には紅葉がある。「小さな森」は、生命の息吹を感じさせる。その中を、母と歩く。何気ない会話が、宝物のように感じられる。
森が象徴するもの
森は、二酸化炭素の吸収源であり貯蔵庫でもある。また水質の浄化や洪水・渇水を緩和し、土砂の流出や崩壊を防止する。だが世界的規模で、またさまざまな理由で、森は失われつつある。海とともに、森は、あらゆる環境問題の重要度、深刻度を示す指標となっていると思う。
また、森は、地域との共生に貢献することがある。入植・移住する人々は、その土地にまず植林をすると聞いたことがある。育っていき、広がっていく森が、自らが選んだ土地であることを示すのだ。植林し、森を作る運動に参加する子どもたちは、自分たちの成長と、大きくなる樹木を重ね合わせ、地域との共生を自然に感じとる。
そして、森は、わたしたちの精神にも影響を及ぼす。
「あんたはよく迷子になった」
雑木林をいっしょに歩いているとき、母がそんなことを言った。
「心配やったけん、住所と名前を書いた名札をつけたよ。覚えとるやろか」
墨で住所氏名を記した小さな布きれを胸のあたりに安全ピンで留められた。雨が降ると墨が滲んで、また新しく名札が付けられた。よく覚えている。
「あるとき、閉山した炭鉱に行ったらしくて、そのあと、その近くの森に入り込んで、剪定をしていた人が見つけて、親切な人で、家まで送り届けてくれた」