
公的資金に依存しないことでできる中立的な活動
サヘル 国境なき医師団(Médecins Sans Frontières 略称MSF)については、幼い頃から耳にしていました。国家の枠組みを超えて、紛争地や医療の届かない地域、行き場を失った難民や避難民のために無償で人道援助を行う。まさに、ほかのどの団体にもできないような、壁のない活動をされていますね。
加藤 MSFは1971年にフランスで設立された非営利の国際的な民間の援助団体であり、世界およそ70カ国で460あまりの援助プログラムを実施、3万9,000人ほどのスタッフが活動しています。2017年で設立25周年を迎えた日本事務局からも年間100人以上のスタッフが延べ150回以上、派遣されています。現在、世界的に国際人道援助の予算が切り詰められる傾向にありますが、緊急医療援助を担うMSFの役割はますます重要になっています。
サヘル 言葉の通じない地域も多くある中で、心で接しようとするスタッフの姿は強い印象として残っています。
加藤 援助を必要としている人たちに分け隔てなく寄り添うことは、我々の活動の根幹です。一方で、活動する中にはジレンマもあります。エボラ出血熱流行の際には、我々も現地で必死に治療に当たりましたが、感染を拡げないことと目の前の一人を助けることのどこにバランスを置くべきなのか、強い葛藤を覚えました。また、南スーダンでは2016年7月に首都で大きな戦闘があり、翌年PKOで派遣された日本の自衛隊は撤収しました。しかし、今の状況は以前よりさらにひどい状況にあると考えられます。医療体制は崩壊し、大火傷を負った7歳の女の子が炎天下に、3日間かけて自力で病院まで来るような世界です。薬があれば治るような病気なのに、子供たちはどんどん亡くなっています。国際社会でさえ関心を持たないような国で、出口のない危機が続いているのです。
サヘル MSFが独立・中立・公平な立場で活動できる理由とは何でしょうか。
加藤 我々の活動資金の95%以上は、世界610万人以上の方々から寄付していただいた民間資金で賄っています。各国政府や国際機関のさまざまな意向に縛られないようにするため、公的な資金の援助は低く抑える決まりになっています。もしアフガニスタンやシリアなどの紛争地域で政府や紛争当事国家の意向に従っていれば、我々の活動は実現できません。だからこそ、誰からも縛られない独立性を維持する必要性があるのです。しかし、現実には、政治的・宗教的に極端な思想を持っているグループによって、活動の安全性が確保できない事態が生じています。本当は対立している勢力の両方で援助活動を行いたいのですが、複雑な政治状況の中、なかなか達成できていない地域もあります。

想像を絶する惨状は今まさに起こっている
サヘル 加藤先生がMSFを志したきっかけは何でしょうか。
加藤 大学卒業直後、小児科医を志すタイミングで、MSFの映像をたまたま見る機会がありました。そこに映っていたのは、栄養失調の子供を治療する外国人のドクターでしたが、そのとき「私でもできることがある」と感じたのです。その映像は自分にとって非常に衝撃的で、こうした現実がありながら目を瞑っていてはいけないと思いました。その気持ちは今も変わりません。現地では人道援助の理想論だけでは通用しないこともありますが、理想を捨てたわけではありません。各スタッフは無力感を抱えながらも、あきらめずに懸命に活動しているのです。
サヘル ご家族から心配されたり、反対されたりはしませんか。
加藤 特に若いスタッフは、家族や両親から反対や心配されたりすることもあるようです。私もかつて、現地に出向くとき、家族に見送られ新幹線に乗車した途端、窓越しに娘が突然泣き始めたことがありました。娘は出発まで顔を強張らせながらも、私を困らせないようにと泣くのをずっと我慢していたのに、それに気づくことのできなかった父親としての至らなさにいたたまれなくなりました。それでも家族から「行くな」と言われたことは一度もありません。
サヘル 日本は国際社会に対して関心が薄いように見えます。でも、それは国際情勢に関する情報が少なすぎるからです。バングラデシュで避難生活を送るロヒンギャ難民についても、国内での報道は多くありません。MSFを始めとして、さまざまな国際団体が活動していますが、その現状を若者たちが知る機会がない。それは本当にもったいないことです。
加藤 私もロヒンギャ難民キャンプに赴きましたが、状況には圧倒されました。皆、一日いちにちを生き延びることに必死で、不安を隠そうともせず、小さな子供たちまでもが眉間にシワを寄せる表情をしています。見渡すかぎりすべての人々が恐怖心や不安感を醸し出している状況は想像を絶するものです。竹とビニールシートだけで雨露を凌ぎ、ぬかるんだ泥の上で家族が暮らしています。あまりにも狭いエリアに多くの人たちが密集して生活しているので、衛生環境は最悪です。もし感染症の流行が起きれば、数千、数万人が命を落としても不思議ではありません。エボラのときもそうですが、たくさん人が死んでからでないと国際社会は動きません。しかし、援助は、まさに今必要なのです。それなのに報道も減ってしまえば、まるで危機は去ったかのような錯覚を覚える人も出てくるのではないでしょうか。
サヘル バングラデシュの知り合いに聞くと、身体に受けた傷だけでなく、性的暴行を受けた女性も多いといいます。しかもそれを小さい子供たちまで目の当たりにしている。彼らは身体だけでなく、心にも傷を負っているのです。その心をケアしなければ、次の世代に憎しみだけを残していくことになりかねません。
加藤 MSFは性的暴行の被害者だけでなく、住まいを追われたり、家族を失ったりした人々に対し、心理療法など心のケアを行っています。MSFは緊急医療援助団体ではありますが、我々が活動する多くの現場では、こうした心理ケアや、一命を取り留めた後に必要となってくる社会復帰に向けたリハビリなど、長期的に取り組まなければならない医療のニーズが増えています。
人道援助活動を支える社会が必要
サヘル イランでは道路のいたるところに募金箱がありますし、幼い頃から戦争の話が身近にあり、食べられること、生きていること自体がどれだけありがたいことなのかを教わってきました。蛇口をひねって水が出ることは奇跡でもあるのです。日本の常識が、地球の裏側では常識ではないかもしれない。世界で起こっている事態を、まず知ること、関心を持つことに意味があるのだと痛感します。MSFが抱えている課題で、ほかに知ってほしいことはありますか?
加藤 日本に関して言うと、人道援助に対する考え方がまだまだ根付いているとは言えないと感じています。海外では、ボランティア活動のために職を一時的に離れても、すぐに復帰できるように社会として人道援助活動を支援する基盤がありますが、日本では難しい。認識や受け入れ態勢に大きな違いがあるのです。そのため、日本人スタッフの採用も伸び悩んでおり、MSFの海外派遣スタッフ全体で日本人の占める割合は2%に過ぎません。なぜ人道援助が必要なのか。日本の方々に理解を深めてもらえるように我々も努力しているところです。
サヘル 医療スタッフだけでなく、ロジスティクスやマネジメントを担当するスタッフも不足しているそうですね。
加藤 MSFは医師や看護師だけの組織と思われがちですが、実際には医療従事者以外のスタッフが約半数を占めます。医療施設の建設や物資調達はもちろんのこと、車両や衛生管理のプロ、人事や経理などの事務方、現地で管理職として地元の当局やコミュニティと交渉するスタッフなど、彼らがいなければ、活動はまったく成り立ちません。技術支援など日本人の長所を現地で活かせる機会はたくさんあると思います。
サヘル 日本でも一人ひとりが人道援助にコミットしていけば、状況は変わってくると思います。
加藤 MSF全体では今後3年で約1000億円の活動資金が不足すると予想されています。にもかかわらず、援助地域は拡大しています。民間企業からも支援を受けていますが、まだまだ支援は全体に拡がっていません。ただ、寄付は金額の多寡ではありません。支援していただいた方のお気持ちを届けるために、1円も無駄にすることなく、現地での活動に役立てることが我々の役目だと思っています。
サヘル その意味では、私たちのほうがもっと意識を変えるべきでしょう。むしろ、加藤先生には私たちが変わることを期待してほしいですね。
加藤 今もMSFを支援してくださっている方々には大変感謝しています。これからも我々は活動地における緊急事態や顧みられない医療ニーズを発信していきたい。独立・中立・公平な援助を必要としている人々に届けられるよう一層努力していきたいと思っています。