日本を知るための、
新たな知の拠点が創造力を刺激する

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2008年3月、渋谷キャンパス再開発事業の一環として完成した國學院大學の学術メディアセンター。
その一角を占める國學院大學博物館は、考古と神道という扉から人間のこころに迫ることができるユニークな場所だ。
モノが持つ情報は無限と言われているとおり、一つひとつの展示物から実にさまざまな気づきが与えられる。
キャンパス内の博物館が果たす役割は、ことのほか大きい。

伝統と創造の主体的な担い手を育んでいく

学術メディアセンターの1階、明るい光が差し込むカフェラウンジでは、学生たちがにこやかに談笑している。そのすぐそばに國學院大學博物館の入り口がある。1928年に創設された考古学陳列室を源とする考古学資料館が、後に神道の祭祀祭礼に関連する資料を収蔵していた神道資料館と統合し伝統文化リサーチセンター資料館に。この4月には國學院大學博物館に改称され、新たなスタートを切った。大学のキャンパス内にある博物館として極めてユニークな特長を持つ古くて新しい博物館は、学術研究の成果を披露する場として、そして、学生たちにさまざまな気づきを与える場として機能するに違いない。

考古、神道、校史の三つのゾーンで構成され、入場料無料で広く開かれている國學院大學博物館に加え、図書館や研究開発推進機構、コンピュータ教室や多目的ホールからなる学術メディアセンターは、日本を知るためのさまざまな知見や学術的な成果が蓄積された知の拠点そのもの。学生や教職員、外部の専門家などが集い、議論を重ね、学びあう仕掛けも随所に用意されている。

このように國學院大學では、研究・教育の施設基盤を整える一方、未来に向けたグランドデザインも立案。その中で、「大学の使命」として定めたのが「伝統と創造の調和」、「個性と共生の調和」、「地域性と国際性の調和」の「3つの慮(おも)い」である。

あえて「慮」の文字をあてた理由は131年前にまでさかのぼる。当時の日本は、明治となって15年ほどの時を経ていたが、急激な欧化政策の中、混沌とした状況が続いていた。こうした、日本古来の思想・文物などが顧みられない状態への反省を大きなきっかけとして、國學院大學の母体である皇典講究所が創立され、日本固有の哲学である神道精神が根幹に据えられた。慮という文字は、その神道精神の大きな特徴である、「相手を慮(おもんぱか)る寛容性と謙虚さ」から引用したものだ。

グローバル時代と呼ばれて久しいが、それだからこそ日本人のよって立つものがよりいっそう大事になる。海外に留学した学生が、外国人のクラスメートから『古事記』や『日本書紀』について尋ねられ、答えられなかったという話をよく聞くが、自国の文化を世界に向かって発信できない人材は、グローバル人材とは呼べないだろう。

そう、「3つの慮い」の一つ、伝統文化を学び継承しつつ新たな価値を創造するという意味が込められた「伝統と創造の調和」という「慮い」を象徴する場が、國學院大學博物館なのである。なぜか。

伝統とは、現代の私たちが日々の営みの中で紡いでいる、さまざまな行為にほかならない。たとえば、亡くなった者に対する向き合い方、あるいはお祭りでもいいだろう。一人ひとりが、それまでの習慣や思想を受け継ぎながら、次の世代につないでいる。しかし、その一方で、現代ならでは、その個人ならではの工夫やアレンジを加えることも忘れてはいない。そして、人はそうした行為を創造と呼ぶ。いわば、日本の伝統を未来につなぎつつ、つねに創造を繰り返す主体的な担い手こそが現代に生きる私たちと言える。

だから、なのだろう。國學院大學博物館を訪れると、考古や神道にかかわるあらゆる展示物から伝統と創造のつながりが歴史なのだと強く認識することができ、自分自身もその中にいることを実感するはずだ。こうした、「伝統と創造の調和」を意識することによって、学生たちは日本とは、自分とは何者かを深く考えるのではないだろうか。自分の存在価値を確認し、そして相手をおもんぱかる。

アイデンティティとしての日本、そして自分を知り、その上で目の前の相手、広く世界に向かって働きかけることができる人間は、きっと強いに違いない。