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日本のドライフルーツ!市田柿を世界へ JAみなみ信州

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魚住りえさんと、地理的表示保護制度(GI)に登録された産地を訪ねるシリーズの3回目は、南信州を代表する特産でもある「市田柿」だ。GIとは、地域独自の生産方法や気候・風土など生産地の特性によって高い品質・評価を獲得した産品の名称を知的財産として保護する制度。際立った農産物の隠された実力を数字で再発見しつつ、日本の本当の“農力”について探ってみた。
(2016年12月9日掲出)

ルーツをたどると500年の歴史が

もともと市田柿とは、長野県下伊那郡高森町の市田地域で栽培されていた渋柿の品種の呼称だった。現在では、干し柿も市田柿と呼ばれている。

2016年7月、市田柿がGIに登録されたことで、地元では今後、市田柿のブランド力を全国、そして世界に拡大させていこうという機運にある。

今回、市田柿の秘密を探るべく、秋を迎えた下伊那郡高森町に赴いたのが、アナウンサーとして活躍し、現在はスピーチデザイナーとして活躍する魚住りえさんだ。「市田柿は、お歳暮などの贈り物のために都内の百貨店で購入したことがあります。味はまさに記憶に残るおいしさでしたね」

JAみなみ信州
代表理事組合長
田内市人

まず魚住さんが話を聞きに行ったのが、JAみなみ信州代表理事組合長の田内市人さんだ。訪れた11月初旬は収穫の最盛期だが、笑顔で出迎えてくれた。最初に魚住さんが市田柿の歴史について聞くと、田内さんは次のように語り始めた。

「文献では鎌倉時代に起源があるという指摘もされているようですが、今の市田柿のルーツは500年前の渋柿の栽培に始まると考えています。昔の柿はいろいろな系統がありましたが、その後、優良系統を選抜して、今のかたちになったのが60年ほど前です。この地域は昔、市田村と言われていましたが、生産者の方々が自力で系統を整理し始めたのです。現在のブランド化へと至るまで、干し柿を“一つの産業にしよう”と地域の生産者の方々が一丸となって努力した経緯があるのです」

魚住りえさん
慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒。日本テレビにアナウンサーとして入社。フリーに転身し、テレビ・ラジオなどで幅広く活躍。また、ボイスデザイナー・スピーチデザイナーとしても活躍中。「魚住式スピーチメソッド」を立ち上げ、著書である『たった 1 日で声まで良くなる話し方の教科書』(東洋経済新報社)がベストセラーに。近著に『10歳若返る!話し方のレッスン』(講談社)

田内さんは続ける

「市田柿は生柿の状態で約120gですが、干し柿になると30gほどになります。糖度は凝縮され、干し上げると糖度が60度以上となり、中はアメ色で繊維質が多くて非常に緻密。手で摘まむと市田柿はきれいに裂けるのです。食感は水分を含み、羊羹よりも少しやわらかいくらいでしょうか。ポリフェノールをはじめミネラルなどを含めた栄養分が豊富で、昔から厳しい冬を越すために重宝されてきました」

新型皮むき機の導入率100%達成

「ここは畑のほうが多い日本でも珍しい地域です。傾斜地が多い地形を生かして、その60%が果実畑となっています。寒暖の差が激しく、冬場は晴れることから干し上げの条件に適しているのです」

ちょうど、市田柿の干し上げ時期には近くを流れる天竜川の川霧が付近を覆い、幻想的な風景が見られるという。この川霧も市田柿の干し上げに寄与している。

農家一戸当たりの栽培面積は小さく、春から夏にかけてはリンゴや梨、ブドウなどを栽培する一方、秋から冬にかけては干し柿、というように冬場の仕事を生みだす。いわば、複数の作物を組み合わせながら、かつ一戸単位の収量を上げるという複合農業と集約農業を実現させているのである。

「そればかりではありません。昔は養蚕が盛んで、蚕を飼育するために大きな家が多く、自宅に干し柿を干せるスペースがありました。また干し柿の加工には女性が果たす役割も大きく、一家全員で協力する家族農業の形態が進んでいました。農家の経営としては非常に合理的だと言えるでしょう」

これまでJAみなみ信州では、市田柿の品質を高めるためにさまざまな取り組みを行ってきた。2006年には市田柿の地域団体商標(地域ブランド)を取得。品質を維持するためのブランド推進協議会を設立し、栽培から加工までの統一的なマニュアルを作成した。

たとえば衛生管理の統一基準では、柿の内部でカビが発生するリスク対策として、柿の皮むき機を針刺し方式から吸引して固定する方式に完全移行させたことも、その一環だ。

「皮むき機は高額のため生産者の設備投資としてはかなりの負担になりますが、移行期間を設けるなどして、現在は100%吸引式が使われています」

さらに従来から干し柿づくりは基本的に、生産者が加工から包装まで手掛けてきたが、生産者の高齢化などに対応するとともに、市田柿づくりのノウハウを磨くため、13年にJA主導で加工工場の「市田柿工房」を稼働させた。

「減圧式の乾燥庫や、商品ロスがないように温度・湿度管理するなど新しい技術をどんどん開発していくことで、包括的な加工マニュアルをつくっていきたい。世界を目指すためにも市田柿工房を一つのモデルとして、そのノウハウを生産者に伝えていきたいと考えています」と田内さんも強い意気込みを見せる。

市田柿工房の従業員は150名ほど。生産ノウハウを進化させる拠点となる

こうした品質改善に向けた取り組みに終わりはない。

「本当に良い干し柿をつくるための第一条件は、原料である渋柿が良くなければなりません。そのため農業試験場と共同で栽培の見直しを進め、さまざまな成果を積み上げています」

柿は夏の日差しを強く浴びないといい柿にはならない。収穫量を増やそうとして柿の実を増やすと、かえって日陰が増えてしまっていい柿に育たない。しかも、柿の木は種ではなく、今は接ぎ木で栽培している。その際大事になってくるのが台木だ。

「この台木も試験場で研究して、あまり大きくならず早く実がつくように改良されています。こうした栽培の課題を一つひとつ指導・整理することで、栽培に適した柿園を地域に拡大することができるのです」

努力はそれだけではない。大事なのは加工後の品質管理だ。現在、市田柿は台湾や香港、シンガポールに輸出されているが、保存面での品質管理も重視している。

実際、JAみなみ信州では、JA長野県グループの長野県農村工業研究所と共同で新たな長期保存技術を開発。温暖な地域への輸送・販売や、販売期間の延長が期待できるようになったのである。

こうして多くの取り組みによって出来上がった市田柿ブランドは、今回のGI取得を受けて、どう進化していくのだろうか。 田内さんはこう強調する。

「これから世界に通用するドライフルーツのブランドとして、この場所から世界発信していきたい。世界を目指すためにも世界で通用する魅力や品質を保持しなければなりません。その意味で、これからも進化した市田柿を皆さまに提供していきたいと考えています」

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