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名城大学のさらなる躍進に向け、取り組みを進める吉久光一学長が、カーボンナノチューブの発見など数々の優れた研究で知られる飯島澄男終身教授を迎え、教育者、研究者としての思いを語り合った。

さまざまな積み重ねが
大きな成果へと結び付く

名城大学
吉久 光一 学長

吉久 飯島先生と名城大学とのかかわりは、1982年からになりますね。

飯島 アメリカにいたとき、応用物理学の上田良二先生に声をかけていただき、新技術開発事業団(現・科学技術振興機構)のプロジェクトに参加して、名城大学で超微粒子の研究を行い大きな成果を収めることができました。カーボンナノチューブの発見はここから始まったと言ってもいいのです。

吉久 先生の研究者としての歩みは、まず電子顕微鏡との出合いだとお聞きしました。

飯島 東北大学の大学院に入ったとき、偶然、電子顕微鏡の権威である日比忠俊先生の研究室に配属されました。そこで電子顕微鏡の世界に魅せられてしまったのです。それからはこの道一筋です。

吉久 私は、建築音響学や騒音制御学の分野で研究を続けてきましたが、研究というのはさまざまな経験の積み重ねが大事だと実感していますね。

名城大学大学院 理工学研究科
飯島 澄男 終身教授

飯島 おっしゃるとおりで、私もカーボン以外の金の研究で仁科記念賞をいただくなどさまざまな研究をしていますが、そうした成果が互いに結び付いています。名城での研究を終えた後、非常勤講師をしていたことも次につながりました。本学の安藤義則先生(元理工学部長・名誉教授)が、フラーレン(C60)という炭素原子が結合したサッカーボール状の分子を作る実験をしていて、そのカーボンの燃えさしをいただいて電子顕微鏡で見たなかに、なんと細長い結晶を見つけたのです。

吉久 それが、カーボンナノチューブの発見につながっていくのですね。

飯島 そうなんです。私はよく「セレンディピティ」という言葉を使います。この言葉には「偶然の幸運」という意味もありますが、その幸運を生かすためには本物を見分ける目が必要なんです。この結晶を見逃さなかったのも、大学院時代にそういう形状の結晶構造を調べる技術を叩き込まれていたからなのです。こうして私は1991年11月に、カーボンナノチューブの発見をイギリスの科学誌ネイチャーで発表しました。

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