言葉の“奥深く"にある文化を理解する 東洋大学

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東洋大学は、1887年に明治の哲学者・井上円了によって創立された約130年の歴史を持つ総合大学だ。哲学を建学の理念とする唯一の大学であり、近年では駅伝や水泳、陸上などの活躍からスポーツが盛んな大学というイメージも強い。一方で、2014年度には、我が国の高等教育の国際競争力の向上を目的に、世界レベルの教育研究を行うトップ大学や国際化を牽引するグローバル大学を重点支援する、文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援 タイプB(グローバル化牽引型)」に採択され、2017年には新学部・学科の開設を構想するなど、グローバル人財育成の取り組みを加速している。そこで、ここでは 「世界で活躍できる人財の条件」と題し、グローバル社会で活躍するために必要な能力とは何か、どうしたら育てることができるのかを全12回の連載を通して明らかにしていく。
第4回は、『ハリー・ポッター』シリーズの日本語版訳者として知られる静山社会長の松岡佑子氏と、グリム童話などの研究に取り組む大野寿子文学部准教授が対談。翻訳などを通して得た経験をもとに、グローバル社会で必要なコミュニケーション能力とは何かを明らかにするとともに、2017年度に開設を構想している文学部国際文化コミュニケーション学科の狙いや期待を語ってもらった。

静山社 会長
松岡佑子
国際基督教大学卒。モントレー国際大学院大学国際政治学修士修了。同時通訳者、翻訳家として活躍し、世界中で大ブームとなった『ハリー・ポッター』シリーズの日本語版訳者として広く知られる

松岡 翻訳をする場合は、まず原文をきちんと理解することが重要となります。それには語学力だけでなく、英語の原文の背景にある文化、『ハリー・ポッター』で例えれば、英国文化を知っている必要があります。さらに、日本の読者に伝えるためには、英国文化を背景とする英語を、日本文化を背景とする日本語に置き換えるための日本語力、そして小説を書くような文章力が大切です。国際舞台でのコミュニケーションにおいても同様で、語学力はもちろんのこと、まずは自分をよく知り、相手をきちんと理解する必要があります。自分をよく知るためには、英語の早期教育をするよりも、まずは日本人としての教養、考えを身に付け、自らの人格を確立すべきだと考えています。「基礎なくして応用なし」です。そして相手を理解するためには、言葉の奥深くにあるそれぞれの国の文化を理解しなければなりません。

東洋大学 文学部 准教授
大野寿子
九州大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門はドイツ文学。『グリム童話』の文献学的研究を中心に、神話、伝承などの研究、教育に取り組む

大野 その通りだと思います。自分と相手の双方の文化を理解するという意味での「文化理解」は、「語学力」とともに、国際化あるいはグローバル化のいわば両輪です。国内であれ海外であれ、コミュニケーションという自己と他者との意思疎通に必要なのは、端的に言えば「伝える力」と「くみ取る力」の両方でありそのバランスです。相手の意思やその場の空気をくみ取らなければ、いくら語学力があっても伝える力は発揮できません。

松岡 確かに、伝える力は特に海外では重要だと思います。日本では、他人の話をよく聞け、自慢をせず謙虚であれ、責任から逃れず言い訳するな、と教わります。しかし、前ユネスコ事務局長の松浦晃一郎氏が『国際人のすすめ』という著書で指摘するように、国際舞台では、長話をした方が望ましい、成功談だけを話すべきで失敗談を話してはいけない、不利な指摘には反論して責任は認めない、といった日本とは正反対の常識が存在します。海外では、日本の常識が通じない場面が多々あるのです。私は、中学1年からこれまで約60年も英語を学び、使ってきましたが、いまだに英語文化圏の精神構造の理解が不十分だと気づかされる時があります。

大野 まさにご指摘の失敗談になりますが、私がドイツに留学したばかりの頃、会話の「間」というものに苦しみました。文法的に正しく話そうと考えているその間に、ドイツ人はもう別の会話を始めてしまう。つまり、不正確な文法でもまずは自分の考えを話す方が、彼らにとっては沈黙よりはましだったようです。そして、ドイツの文化に溶け込んでくると、今度はドイツ語で話す時と日本語で話す時とはまるで別の人格だと言われて混乱しました。さらに帰国後は、はっきりと自己主張するドイツの日常に慣れすぎたせいか、性格がきつくなったとも言われました。そうした経験から、日本と海外とでは会話の際に求められる姿勢が異なることに気づかされるとともに、それらを使い分ける方法を学ぶことができたと考えています。

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