「イノベーション」という言葉は死語にすべき 「内田樹×白井聡」緊急トークイベント<前編>
危機の共通の基盤のようなものがある
白井:今日は「危機の時代に人文学を再び考える」というテーマで、内田樹先生を迎えてお話をする機会をいただきました。
今日、このような機会を設けたのは、次のような考えに基づいてのことです。新安保法制が通ったことで、「日本が戦争をすることにつながっていくんじゃないか」という危機感が高まっていることが一方にあり、他方、われわれの職場である大学において、安倍政権になってから、「大学改革」と通称される動きが加速していて、それにより大学で学問の危機ともいうべき状態が進行しています。この2つの現象は無関係ではないと私は考えます。たぶんそこには、危機の共通の基盤のようなものがある。それが何であるのかを話し合えたらと思っています。
内田:行政による大学の解体は、1991年の設置基準大綱から四半世紀にわたって進行してきたものです。その中で僕が感じたのは、大学も含めて学校制度が全体として、株式会社化しているということです。
トップに権限を集中して、教授会には人事権も予算配分権も与えない。終身雇用もやめ、基本的に任期制にする。勤務考課を細かく行い、単年度の業績によって査定し、それに基づいて教育資源の配分を決める。大学の経営や教育の方針は、変化するマーケットのニーズに応じて変えていく。そういう発想です。
「マーケットの要請に応える教育している学校は生き延びて、応えることのできない学校は淘汰される。結果的に最良の教育を最低のコストで実現できた学校だけが生き延びる。それがいちばん合理的である」という発想に、たぶん多くの人が同意している。今、この会場においでのみなさんも半数ぐらいは、「なんでそれがいけないんだ?」と思っているでしょう。
しかし、それは根本的なことを勘違いしているということです。
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