第一中央汽船が破綻、商船三井は救うのか 中国バブル崩壊による資源安が直撃
海運業界で国内売上高5位の第一中央汽船が9月29日、民事再生法の適用を東京地裁に申請した。2012年3月期から2015年3月期まで、4期続けて最終赤字に苦しんでいたが、一部の金融機関から9月末に期限が訪れる借入金の借り換えを拒まれ、運転資金に窮したことが、経営破綻の最後のトリガーとなった。
同社の薬師寺正和社長は、9月には筆頭株主である商船三井(第一中央汽船に16・6%出資)に対し、「支援を受けられなければ9月を乗り切ることは難しい。法的整理を考えざるをえない」と、相談していた。が、商船三井はすでに2012年と2013年の2度にわたり、優先株を引き受け、計300億円を出資している。
第一中央汽船が主力とする、石炭や鉄鉱石などを運ぶバラ積み船の運賃市況は、世界需要の5割以上を占める中国の景気低迷を受け、足元では損益分岐点の半値以下で推移中だ。一方、商船三井は、自社保有の船隊数を減らし、リスク圧縮を図っている。商船三井は「グループ会社でなく、あくまで筆頭株主と持分法適用会社の関係にある以上、出資比率に応じた有限責任を超えて、赤字会社へさらに出資することは、自社の株主に対して説明責任を果たせない」と説明する。
住金に代わって支え続けた商船三井
第一中央汽船と商船三井の関係は浅くない。第一中央汽船の歴代社長は1980年代から1990年代、2位株主だった住友金属工業と第一中央汽船の出身者が交代で、社長を務めてきた。ところが、第一中央汽船が2001年3月期に3期連続の最終赤字に陥った後、住金出身の社長は途絶える。
代わって存在感を増したのが商船三井だった。以降、商船三井は、薬師寺社長まで4人続けて社長を送り込んだ。そして、運賃市況上昇を先取りして船舶を増強する”積極経営”を移植し、2008年3月期には228億円の過去最高純益を記録。業界では小兵ながらも野武士集団として怖れられた。リーマン・ショック後に運賃市況が急落した後も、2009年に社長へ就任した小出三郎社長(当時)は船舶価格下落をチャンスととらえ、船舶を大量に発注したのである。しかし、「中国や新興国の市場拡大を前提にした積極策は、全く裏目に出た」(薬師寺社長)。
世界的金融緩和で過剰に供給された投機マネーは、第一中央汽船と同様、運賃市況上昇の先取りを狙い、造船市場へと流れ込んだ。その結果、バラ積み船の運賃市況は、損益分岐点割れが常態化。本来そこで第一中央汽船に必要な収益改善策は、船隊の思い切った縮小だったが、実際にはそこまで踏み込めず。赤字を出しながら、運賃市況の回復を待ち続けたことで、財務は悪化した。商船三井の優先株引き受けも、あくまで資金繰りを支援する程度のものだった。
さらに、最大荷主の住友金属工業が新日本製鉄と2012年に合併したこともまた、誤算だった。新日鉄はもともとNSユナイテッド海運と密接だ。新日鉄は契約更新を機に、中長期契約についてNSユナイテッド海運へ集約することで、全体の物流コストを削減している。そのあおりを受け、第一中央汽船では、市況変動の影響を直接受ける短期契約が7割近くまでに、体質が弱体化した。赤字が続いたことで、信用不安が世界中に広まり、新規顧客の開拓もままならない状況に陥ったのだ。
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