(第71回)居酒屋の話あれこれ(その1)

山崎光夫

 久しぶりに神楽坂(東京・新宿区)に出かけて居酒屋で飲んだ。
 神楽坂は歩いていて心休まる商店街である。細い路地裏にも発見があり、ふところ深い、古い町である。花街の匂いを残す一方、新進の店舗も増えている。伝統と現代が混在しているのが特徴であり、魅力のひとつ。
盛り場にとって、坂道は集客を考えるとマイナス要因と思うが、坂上や坂下から眺める風景は却って変化に富み、プラスにすら働いている。
 今の神楽坂にはマイナスをプラスに変える強さがある。女性客が多いのも目につく。

 この神楽坂周辺一帯は、江戸時代、福井・小浜藩酒井家の広大な下屋敷があった場所。現在、矢来(やらい)公園には、小浜藩邸跡、また、小浜藩医だった蘭方医・杉田玄白生誕の地の石碑が建っている。
 その縁で、毎年、11月の半ばには、「越前・若狭まつり」が開かれている。(今年は、12、13日開催。)
 私がこの地に親しみを感じるのは福井生まれのせいだろうか。まさか、越前福井の空気が特別に神楽坂に吹き抜けているとは思えない。

 以前といっても、もう20年も前になるだろうか、一時期、神楽坂の居酒屋に通ったことがある。
 この店の女将は豪快な人で、たとえば、タコを注文すると、8本足そのままドーンと皿に盛って出したものである。日本酒は茶碗で飲んだ。
 気っ風のよさには爽快感すらあった。
 そのとき、最初にこの店を紹介してくれた先輩は、
 「流行る居酒屋には共通項がある」
 と言った。
 流行るには、「あねご」が肝心だと言うのである。
 「あねご」の「あ」は、味。
 「ね」は、値段。
 「ご」は、ご機嫌という。
 ご機嫌は客と店主、双方の感情を指す。
 カウンターの中も外もお互いご機嫌にならなければ店は繁盛しないらしい。
 そのご機嫌の本体は、笑顔であり、明るい笑いだという。店主の明るさが客を呼び、客も明るくなって店を出る。
 その昔、よく出かけていた横浜の店や新宿・ゴールデン街のバーも、女将がすこぶる付きの豪快な人物で、今はもう物故された名物女将だった。

 こうした「あねご」は、チェーン店の雇われ店長や、時給だけを気にするパート従業員が働く居酒屋には望むべくもない。
 どうせ出かけるなら肌のあった「あねご」の店に行きたいものだ。
 予約しないと入れない居酒屋もあれば、いつもガラガラの店もある。同様のことは、医者の世界にもある。
 患者でひしめいている医院もあれば、待合室はいつもがらんとした診療所もある。
 医者の知人にきくと、レセプト(診療報酬明細書)の紙の厚さが月に5センチを優に超えて流行っている医院と数枚しかない“閑古鳥医院”とがあるという。医者はレセプトの決済で生計をたてている。その多寡は医者一家の台所経済にはね返る。
 「医者も水商売的な要素がある。何が患者を呼ぶかというと医者のパーソナリティに負うところがじつに大きい」
 明るい、ネアカの先生が患者を呼ぶという。
 考えてみれば、病気で落ち込んでいる患者が医者の暗い対応でさらに落ち込んでは救われない。。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』『二つの星 横井玉子と佐藤志津』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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