「いい大学出て大企業勤め」も彼が満たされない訳 周りと自分を比較してしまうのはなぜなのか

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そういう人たちは、自分自身の幸せの定義を持っていて、他人の基準や信念に従うのではなく、自分の基準や信念に基づいて生きています。そして何よりも人生において大切なのは、他人に認めてもらうことではなく、自分が自分を認め、納得する人生を歩むことだ、という部分を理解しているからこそ生まれている余裕です。

JYさんも、自分に対して正直な人生を送り、自分が満足する生き方をすればよいのです。

結局のところ幸せな人生を歩めるか否かは、自分にとっての等身大の幸せとは何かを理解しており、そのうえで今の自分を好きになる勇気を持ち、自分自身を信じることができるか否かにかかっています。

それぞれが自分を信じ、自分が定義する幸せの定義に向かって生きていればよいのであり、他人との比較は本来必要のない行為なのです。

そもそも勝手に他人を見て「勝った負けた」と思うのは、他人の表面上の一部だけを見て、そして自分の勝手な基準で勝負を一方的に決めているだけです。本来そこに勝負はありませんし、勝ち負けも何もないのです。

ではなぜそう思うのかというと、自分と自分の人生に自信がなく、自分の家庭や社会におけるポジションに確信が持てないからです。

年収や車など表面的な部分で比較する

自信がないから、他人との比較において自分の立ち位置を探る、ということですね。

他人との比較で、他人のすべてを知ることはできませんから、先に述べたように、表面的でわかりやすい基準での比較にとどまるのです。

想定される年収、住んでいる場所、乗っている車、持ち物なんかがそうですね。

そんな表面的なことだけで自分や他人の人生を理解し、ジャッジできるほど人生は単純ではありませんし、一部だけの比較ではまったく意味がありません。

自分を理解していないし、自分に満足していない。そもそも幸せや、満足の概念を自分自身の基準として有していないから、つねに不安であり、不安だからこそ他人の一部と比較することで理性を保とうとする、という流れです。

不安だったらつねに自分自身をアップデートしていけばよいだけの話なのですが、その不安を勝手に他人に投影して「勝った負けた」と考えるのは、相手からすると迷惑以外の何物でもありません。

相手からするとそれこそ「あなた誰ですか?」となるのですが、文字通りその「自分は誰か、何者なのか」に自信がないからそういう考えを抱いてしまうのです。

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