オバマ夫人が告白、勝手に「レッテル」貼られる怖さ 大統領選でも経験、固定観念がある種の"真実"に

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2016年、フィラデルフィアの全国大会で最初にこのことばを口にしたとき、わたしは距離はとっていなかったし、無頓着でもなかった。それどころか、かなり心乱されていた。

その時点でわたしは、共和党幹部たちの口からいつも出てくる腹立たしいことばに心底怒っていた。夫の仕事が傷つけられ、彼の性格が侮辱されるのを8年近くも見てきて、うんざりしていた。彼の市民権を疑問視する偏見に満ちた企てまであった(またあの考えがくり返される。“おまえが持っているものを持つ権利があるとは、わたしは思わない”)。そして、偏見のいちばんの煽動者が大統領選に出馬していることに怒っていた。

でも、わたしの力が本当にあるのはどこ? 苦痛や怒りに力があるわけではない。それはわかっていた。少なくともむき出しの状態では、フィルターを通していない状態では、そこに力はない。わたしの力は、その苦痛と怒りを使ってできることにある。それを持っていける場所、そのために選ぶ目的地にある。こういうむき出しの感情を、ほかの人に一蹴されにくい何かへ高められるかどうかにかかっている。明確なメッセージ、行動への呼びかけ、そのために働きたいと思える目標へと高められるかどうかに。

それがわたしにとっての“気高く生きる”だ。漠然としていて普通は不安をかき立てる感情を受けとめ、それを実行可能な計画に変えること。むき出しのものからより大きな解決策へと向かっていくこと。

はっきりさせておきたい。これはプロセスだし、かならずしも手っとり早くすすむわけでもない。時間と忍耐が求められるかもしれない。しばらく何もしないで腹を立てていてもいいし、不正や不安や悲嘆のせいで動揺していても、苦しみを訴えてもかまわない。回復や癒やしに必要な空間を自分に与えてかまわない。

感情は計画ではない

わたしの場合、“気高く生きる”には、たいてい反応する前に一度立ち止まる段階がある。それは一種の自制で、最善の衝動と最悪の衝動のあいだにある境界線だ。

“気高く生きる”は、薄っぺらな怒りと皮肉な軽蔑に加わろうとする誘惑に抗い、身のまわりの薄っぺらくて皮肉なものにはっきりとした声で応答する方法を見つけることだ。“反応”を受けとめ、“応答”へと成熟させたときに、これが実現する。

というのも、感情は計画ではないからだ。問題を解決してはくれないし、おかしなことを正してもくれない。いろいろな感情を抱くことはあるかもしれない─―たぶん抱くと思う。

でも、それに引きずられないように気をつけてほしい。怒りは汚れたフロントガラスかもしれない。苦痛は壊れたハンドルのようなもの。失望はなんの役にも立たず、不機嫌に後部座席に座っているだけ。それらを使って何か建設的なことをしなければ、車はまっすぐ溝へ向かっていく。

わたしの力はいつでも、溝にはまらずにいる自分の能力にかかっている。

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