新発見!「信長からの手紙」に隠された秘密 細川コレクションの信長文書59通とは?
2013年、永青文庫(東京都文京区)が所蔵する細川家文書のうち、266通が国の重要文化財に一括指定された。これを記念して、永青文庫の冬季展「信長からの手紙」では、細川家文書の中核をなす織田信長の書状59通を、前期、後期に分けて全点公開している。
併せて「明智光秀覚条々」、「羽柴秀吉血判起請文」なども展示され、戦国時代から、信長、秀吉の天下統一への動きに細川家がどう係ったのか、手紙から読み解く展覧会になっている。また、日本テレビ放送網は2月12日(19時~20時54分)、関連の特別番組「くりぃむしちゅーの歴史新発見 信長59通の手紙を解読せよ!」を放送する。
信長と細川家の深い関係
信長の手紙は大名家や寺院などに伝来しているが、細川家には59通と、最も多くが伝わっている。そこには信長自筆の一通も含まれている。信長と細川家はどのような関係だったのだろうか。
細川家初代藤孝(出家後は幽斎、1534~1610年)は、もともと室町幕府13代将軍・足利義輝の側近だった。義輝が暗殺されると、藤孝らは奈良の興福寺に幽閉されていた弟の義昭を救い出し、信長の支援を得て京都に入る。義昭は十五代将軍となった。
いわば連立政権が成立したが、信長が義昭を思いのままに動かそうとしたため、両者は対立。藤孝はこのまま義昭に仕えるか、信長側に転じるかの選択を迫られた。
元亀4(1573)年、2月26日、岐阜にいた信長が藤孝に送った朱印状には、京都と畿内の情勢を知らせてくれたことへの礼が述べられ、藤孝がすでに信長と親密な関係を築いていたことがうかがえる。2人は共に40歳だった。
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