新発見!「信長からの手紙」に隠された秘密 細川コレクションの信長文書59通とは?

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とくに武田軍に対する恨みは深かったようで、長篠合戦の直前の天正3(1575)年5月15日の黒印状には、「自分たちは敗北したことがない。これは天命であるから、武田軍を根切にする」と書かれている。「根切」とは、根絶やしの意味だ。合戦に勝利した後には、「武田勝頼の首はまだ見ていないが、川に浮かんでいる武将の中にいるかもしれない。近年のうっぷんが晴れた」と述べている。

信長は美濃を支配下に置いた永禄10(1567)年頃から、書状に「天下布武」の印を押すようになった。武力を広めて天下を統一する、という意気込みが感じられる。この印判を朱色で押したものを「朱印状」、黒で押したものを「黒印状」と呼ぶ。領地を与えたり、軍事上の義務を命じたりするときは朱印状が使われ、一回限りの命令や返答には黒印状が使われる傾向があるというが、明確な基準はわかっていない。現存する信長の手紙では黒印状のほうが多い。

なぜ細川家に多くの手紙があるのか

これらの細川家文書は、2014年の秋、熊本県立美術館の「重要文化財指定記念 細川コレクション 信長からの手紙」展で一足先に公開された。展覧会の準備の過程で、59通もの信長の文書が細川家に伝来した理由について、新たな事実が判明したという。

稲葉氏が展覧会の図録に詳しく書いているが、これまでは、信長の家臣だった家の多くが没落し、文書が失われたのに対して、細川家は長く存続したから多くの書状が残ったと考えられてきた。しかし、それだけではなく、細川家三代忠利(1586~1641年)が、幽斎の末子の長岡休斎らが持っていた書状を熱心に収集し、晩年になってまとまった数が熊本に集まった。それらが今日に伝わったのだという。

古文書のコピーを並べてみる出演者たち
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