就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛

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大人たちが理想の学生像を押し付けてはいけない(写真:ふじよ/PIXTA)

「ガクチカに悩む就活生たち」

新型コロナウイルスショック以降、このような報道をよく目にする。「ガクチカ」とは就活の選考でよく質問される「学生時代に力を入れたこと」の略だ。感染症対策のために、大学生活の自由度が制限される中、就活で自分をアピールするガクチカがなく、就活生が困っているという問題である。

ガクチカ問題は、全国紙各紙でも報じられた。関連した記事は一通りチェックしたが、パターンはほぼ一緒で、戸惑う学生の声を中心にし、企業の人事や、大学のキャリアセンターの試行錯誤が伝えられる。このような報道が就活生の不安をさらに高める。

「ガクチカの父」として猛反省していること

このガクチカについて、私は複雑な想いを抱いている。実は、この言葉を日本で初めて書籍に掲載したのはどうやら、私なのだ。2010年のことだった。私は「意識高い系」をタイトルにした本を初めて世に出した者でもある。ゆえに、若者を苦しめる言葉を広げた者として悪者扱いされることもある。ともに、私が生み出した言葉ではなく、広めた言葉なのだが。

正直なところ、とばっちり、流れ弾だなとも思いつつも、とはいえ反省すべき点もある。それは、このガクチカという言葉が就活生、企業、大学関係者などに誤解を与えつつ広まってしまったことにより、混乱を招いている。これは、問題だ。

あたかも、ガクチカとして自信をもって語れることがなければ内定が取れないのではないかと就活生を焦らせたのではないか。ガクチカ=「わたしがなしとげたさいこうのせいこうたいけん」なのだと、誤解させてしまったのではないか(つまり、“すごい体験”でなければアピールできないと思わせてしまったのではないか)。

企業の面接官も、わかっていない人に限って、派手なガクチカを過大に評価してしまう。しかも、その流れにより、大学もエントリーシートの添削などで学生の体験を誇張してしまう。さらには、大学側が就活でアピールできるような機会まで用意してしまう……。

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