マツダを大復活させた「CX-5」開発物語 2度の経営危機から過去最高益へ

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鉄製の御神体が完成すると、今度はこれに触発された塗装部門が、どうしたらきれいに塗装できるか検討を始めた。

いまのマツダは、かつてのマツダではない。変革は二つの危機を乗り越える中から生まれた。

バブル崩壊後の1996年、筆頭株主だった米フォード・モーターが経営権を握って再建に乗り出し、社長を送り込んで大リストラを断行した。同時に世界で初めてロータリーエンジン車の量産化に成功した職人気質の強い企業に、外国人社長たちが経営の視点を浸透させた。

HV並みの燃費実現

業績は99年3月期、6年ぶりに黒字転換。最悪の状況を脱したマツダだったが、社内には「これでよかったで終わってはダメだ」という危機感があった。そこで経営陣は06年に長期の計画を練る。10年後、どんな車を売る会社を目指すべきか、そのためにはどんな技術が必要か。その答えの一つが、「魂動」とともに、リーマン・ショック後の危機からマツダを復活へと導いた「スカイアクティブ技術」だ。

エンジンや車体、変速機など、車の基本的なパーツをゼロから見直して極限まで改善し、エンジン車でハイブリッド車(HV)並みの燃費を実現する技術。自動車が誕生して約130年。世界中のメーカーが研究を続け、これ以上の改善は困難とみられていた「常識」への挑戦だった。

技術開発は06年に始まった。07年3月に発表した技術開発の長期ビジョンには、「ほとんどのガソリンエンジンを2010年代初頭に一新、動力性能、燃費性能を大幅に改善」など、スカイアクティブ技術についての記述がすでに登場している。

エンジン開発を統括したパワートレイン開発本部の仁井内(にいない)進副本部長(53)は、スカイアクティブ技術の開発からものづくりに対する社内のスタンスが大きく変わったと感じている。

「例えば、エンジン屋はエンジンをつくる、生産技術は生産ラインを効率的に設計する、それぞれの責任分野の目標を達成するのがゴールだった。でもスカイアクティブから、最後は車をつくるんだ、というゴールに意識が集約されたように思う。こういう車を目指すんだ、そのためにはこういうエンジンでないといけないんだ、と」

かつては、開発側の案を生産側が「こんなデザインの部品なんて作れるわけないだろう。ものづくりを知らんのか」と一喝することもあった。いまのマツダに、そんな光景はない。

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