隠れた名門、「ホテル龍名館」の秘密

明治の文化人が愛した老舗は何度も変身

2014年にリニューアルオープンしたお茶の水本店

1955年に出版された幸田文の小説『流れる』は、華やかな花柳界とそこに生きる女性たちを描いた小説だが、その中にこんなくだりがある。

「電話はどこからだったの」

「それがおねえさん小石川なのよ。ねえ梨花さん、九十二って小石川だわね」

「はぁ小石川です」

「そんな変な処からの電話じゃあ辻占はよくないね。ちゃんとした帝国ホテルとか龍名館とかいうのなら又いいけど」

帝国ホテルか龍名館か

意中の男性から電話が掛かってはしゃぐ若手の売れっ子芸者と、それをたしなめる先輩芸者。先輩芸者は男性がどこに逗留するかで、その資力と社会的ステイタスを判断している。

龍名館の浜田敏男社長

著者の経験をもとにした『流れる』には、当時の風俗が描かれている。帝国ホテルと並んでステイタスシンボルとされた龍名館とはどんな旅館だったのか。

淡路町から神田駿河台の観音坂を上りきったところに、その旅館は存在した。今は「ホテル龍名館お茶の水本店」と名前を変えている。創業は1899年(明治32年)で、日本橋室町で江戸時代から続いた旧名倉屋旅館の分店としてスタートした。

「初代の卯平衛は名倉屋を経営する浜田家の長男でしたが、姉に婿養子を迎えたため、独立したのです」

浜田敏男社長は、こう説明する。5代目の敏男氏は卯平衛氏のひ孫にあたる。

「そもそも旅館の経営というのは女将が中心でしたからね。卯平衛が旅館を“龍名館”と名づけたのは、姉の“辰”という名前と実家の“名倉屋旅館”から1字ずつとったものと言われています」

次ページ大正期には支店も展開
関連記事
Topic Board トピックボード
人気連載
Trend Library トレンドライブラリー
  • コメント
  • facebook
0/400

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

Access Ranking
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • いいね!

※過去48時間以内の記事が対象

※過去1ヵ月以内の記事が対象

※過去1ヵ月以内の記事が対象

※過去1ヵ月以内の記事が対象

※週間いいね数のランキングです。

トレンドウォッチ
行き詰まる東電支援<br>原発最後の選択

賠償費用も廃炉費用も想定から大きく上振れし、東電支援スキームは破綻の瀬戸際。東電の発電所を売却し、その代金を賠償や廃炉費用に充て、東電を送配電会社に再編する構想が浮上。