「マイルドヤンキー」は単なる情報弱者層 マーケティング対象としては非常に単純
先日ある出版社と打ち合わせが終わったあと、なぜかマイルドヤンキーの話になった。マイルドヤンキーとは、ウィキペディアの記述を信じるならば、今年1月にマーケティングアナリスト・原田曜平氏が定義した概念というから、けっこう新しい言葉ではある。だが多くの人が納得できるのか、強く浸透した。
定義によれば、
と、なかなかイタいが、言われてみればあーあるあると、まあ勝手にあいつらそうなんじゃないかと思い当たる輩がいる。個人的に思い当たるのは、ドンキホーテにジャージで買い物に来る金髪子連れのカップルとかである。
僕が話としてよくわからないのは、それは元ヤンキーとどう違うのか、という点である。元ヤンでも今はスーツのサラリーマンという人もいないではないだろうが、まあいわゆるジモティをこじらせてそのまま、というパターンなのではないか。
「反社会的なところがない」のがマイルドヤンキー
マイルドヤンキーというニュアンスからは、見た目からのガッツリしたヤンキーではない感じも受ける。ガッツリしたヤンキーは、マイルドではないからだ。
しかし車やアクセサリーなど嗜好品の傾向はあきらかに威圧的なものを好むため、それらを身につけていけばヤンキー感は出る。そもそも見た目で判断できなければ、集合としてのマイルドヤンキーを認識できない。やっぱり見た目も、多少ヤンキーなはずだ。
おそらく本物の、というか昔のヤンキーと違うのは、反社会的ではなく、地元に馴染んで溶け込んでいる、大人のバランスを身につけたヤンキー、ということになるのだろう。うちの地元のお祭りでは、普段どこにいるのかまったくわからないが、神輿を担いだりする金髪やスキンヘッドにヒゲの若い衆がいる。
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