「スポ根」アニメから抜け出せない日本 【最終回】 スポーツは「遊び」なのか?

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よくスポーツは「遊び」と説明されるが、日本ではなぜかしっくりこない。その理由をドイツと比較しながら考察した。当連載最終回、さらに日本のスポーツは今後どうしていけばよいか、大きな方向性も考えてみたい。

体育会系文化の醸成に影響?

スポーツの定義は、語源であるラテン語“deportare”までさかのぼって説明されることが多い。英語だと“carry away”、「何物かを運び去る」といった意味だ。転じて不安や憂いを運び去ること、つまり「遊び」「気晴らし」と説明されるわけだ。だが筆者は長きにわたり、「スポーツは遊び」という説明は正直なところピンとこなかった。読者の皆さんはいかがだろうか?

 筆者の年齢は40代半ば。「みんな同じテレビ番組を見る」というメディアの時代を過ごしているが、今日の40~50代は野球を舞台にした「巨人の星」などのスポ根(スポーツ根性もの)アニメに熱中した。それらの作品にはライバルとの競争で勝利を得ること、そのための激しいトレーニングなどの要素がある。戦後、高度経済成長期を迎え、「がんばれば成功する」という時代の気分とうまくマッチしたのだろう。

 だが、ここには「遊び」や「気晴らし」という言葉が入る隙間がない。「スポーツは遊び」への筆者の違和感は、今思えば、スポ根アニメが影響していたような気がする。1980年代あたりからスポ根も時代遅れになっていくが、勝利のための無茶な練習や身体への刺激(気合のためのビンタなど)は「普通のこと」という体育会系文化の醸成に、スポ根作品も一役かっていたように思える。

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