ニッポンの大学の”ジレンマ”とは? 古市憲寿×吉見俊哉対談(上)
ボロボロに見えた大学教授の姿
古市:僕は、吉見先生の授業を受講したことがあるのです。大学院に入った頃に、「吉見俊哉を叩きのめせ」という授業でした。吉見先生が書かれた論文や本を読んで批判するという、面白い授業でした。
吉見:そうだったのですね。科目名は英語で言うと「アタックミー」。いい日本語がなくて(笑)。授業では私が書いた論文や本を「叩き台」にしましたが、要約するな、褒めるな、賛成するなという規則があって、理論的批判からあら探しまで何でもいいから私への攻撃を学生がみんなでするという授業でした。方法論のトレーニングとして教育効果があるんです。
古市:授業はとても面白かったのですけど、いつも吉見先生が会議などの学事でボロボロになってやってきて、学生から授業でボコボコにけなされて、またボロボロになって帰っていくという(笑)。「大学の先生って、こんなに忙しいんだ」と驚いたことを覚えています。今もお忙しいですよね。
吉見:そうですね。私は副学長という立場ですが、「組長のパシリ」と自分では言っています。東大は、教育改革を進めるにも、さまざまな学部、研究科と、数多くの調整をしないと全体がまとまらない。だからこそ、誰かが調整役としていくのですが、これは「アタック・ミー」よりもよほどつらい立場ですね。調整をしている間にもっと「ボコボコ」になる。それが私の役割です。
東大に限らず、日本の国立大学、総合大学の問題のひとつは、一つひとつの学部や学科、研究室がとても自立的なので、ユニバーシティとして統合していくのがものすごく難しい組織ですね。