疫病と自粛疲れから「国民の2つの身体」を守れ 「自然的身体」は「政治的身体」と不可分である

✎ 1〜 ✎ 7 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 最新
拡大
縮小

何やら抽象的・観念的なように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

日本国憲法の第一条には、こう記されています。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

天皇の身体は、日本という国のみならず、日本国民の統合までを象徴的に表している。

ボディ・ポリティックの発想が盛り込まれているのは明らかでしょう。

1651年に刊行されたトマス・ホッブスの著書『リヴァイアサン』の表紙には、剣と笏(しゃく)を持った巨大な君主が、国土を睥睨(へいげい:辺りをにらみつけて勢いを示すこと)するさまが描かれていますが、君主の身体は、よく見ると無数の人々によって成り立っています。

現在の天皇に政治的権力はありませんが、天皇が国民の統合を象徴するという憲法の規定は、『リヴァイアサン』に描かれた君主の姿から、そうかけ離れたものではありません。

つまりわれわれも、自分自身の自然的身体を持つと同時に、「日本(国民)」という政治的身体の一部をなしている。

国民であるかぎり、誰の身体にも二重性が備わっているのです。

1651年に刊行されたトマス・ホッブスの著書『リヴァイアサン』の表紙(写真:ウィキペディア)

2つの身体を病から守れ

国家や社会について論じるとき、人はしばしば、そうと自覚することなく、ボディ・ポリティックの概念に基づいた言葉遣いをしています。

「日本の病い」や「社会を蝕(むしば)む問題」といった表現は、国や社会が「身体」だという前提なしには成り立ちません。

そもそも「国」という言葉が存在するではありませんか。

国の指導者は「元」であり、元首同士の話し合いは「首脳会談」と呼ばれます。

そして感染症の流行においては、ボディ・ポリティックは比喩にあらず、文字どおりのものとなる。

次ページ集団免疫と「身体の二重性」
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT