初詣「二礼二拍手一礼」が古い伝統という勘違い 昨晩聞いた「除夜の鐘」も実は歴史が新しい

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昔から神社に関わってきた人間であるなら、たとえ神職でも、祈念が欠けている作法に釈然としないものを感じるはずだというのだ。また、そもそも神社に参拝するということは、それほど堅苦しいことではなく、もっと自由でいいのではないかとも主張している。

私もそれには共感できる。なぜなら本来の目的は「思いを込める」ことなのだから。必要以上に二礼二拍手一例にこだわらず、社前で合掌するというほうがずっと好ましいということだ。

二礼二拍手一礼が「スタイル」になってしまっている以上、心を込めて神と相対するのは難しい。だからこそ、神社で拍手を打ってはならない。著者の根底にあるのも、そんな考え方である。

昔は正月に年神様を迎えた

冒頭に書いたように、一般の人たちが二礼二拍手一礼を実践するのは、主に正月の初詣のときであろう。もちろん日常的に参拝している人もいるだろうが、大多数の人たちは初詣にしか参拝しないのではないか。したがって、二礼二拍手一礼の作法に従うのもそのときだけということになる。

しかしこれは意外に新しいしきたりなのだそうだ。少なくとも江戸時代には、初詣に行く人などいなかったという。

江戸時代と現代で共通している正月のしきたりは、門松などの松飾りをすること、大晦日に年越しそばを食べること、鏡餅を飾ること、おせち料理や雑煮を食べることなどだというのだから驚きだ。

「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」というのは、室町時代の禅僧、一休宗純作とされる狂歌だから、門松はかなり古いしきたりということになる。
これは、今でも地方ではある程度生きているが、重要なのは江戸時代の正月には、五穀豊穣をもたらす「年神様」がやってくるという信仰が存在したことである。松飾りをするんも、その年神様が宿る依代(よりしろ)となるからである。鏡餅も年神様に供えたもので、おせち料理も同様である。年神様のお下がりをいただくことが雑煮のはじまりだという説もある。(49ページより)

だが、いまでは年神様を家に迎えると考える人はほとんどいないといってもいいだろう。たとえば門松も本来の意味を失い、ただの正月のシンボルにすぎない。

おせち料理にしても同じで、供え物であると考える人はいなくなった。あくまでそれは、正月に食べる特別な料理にすぎないわけだ。それどころか現代では、「どうせ余るだけだから」とおせち料理を用意しない家庭も増えているのではないだろうか。

つまり、たとえ江戸時代と同じことをしていたとしても、その意味は根本的に変わってしまったということだ。

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