28歳「発達障害」の彼が3度仕事辞めて移る先 家業を継ぐが「影響力を持つ人間になりたい」

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「中学までは勉強しなくても成績が良かったのに、高校で成績がガタッと落ちてしまいました。中学までは、わりと勉強ができない友達と一緒にいることが多かったのですが、この高校はみんな優等生タイプばかりでなじめず、友達もできませんでした」(加藤さん)

これらのエピソードを見ると、人付き合いがうまくいかない点はASDの特徴もあるように思える。加藤さんは将来PC関係の仕事に就きたかったため、有名大学の工学部に入らなくてはと高校2年生のときから本気で勉強に取りかかる。

しかし、そこは進学校で、クラスメイトたちは非常に勉強ができる。地理は元々得意だったが他の教科がなかなか伸びない。このままでは三流の大学にしか入れない状況だ。そこで、地理が選択科目にある私立文系ならば難関大学に入れると思って文転した。将来の仕事のための進学というより、「どれだけネームバリューのある大学に入れるか」、という点に目的が変わってしまっていた。そして、残念ながら希望する大学には受からず、浪人の道を選んだ。

パッとしない大学生活、アルバイトも続かない

上京して都内にいる祖父母の家に住まわせてもらい、予備校に通う浪人生活が始まった。今までの怠けを取り戻すように勉強に励んだ。それでも結局、第1志望の大学には受からず、第2志望の大学へ。ここでも、やりたい勉強のできる学部よりもネームバリューのある学部を選択してしまったため、大学生活がつまらなかった。

「地理が好きなので文学部地理学科に行けば好きな勉強を履修できるのに、経歴としてカッコイイと思って経済学部を選びました。経済なんて興味なかったのに……。興味の幅が狭いので、入りたいサークルもなかなかありませんでした。アニメ関係や旅行関係のサークルに顔を出してみるも、アニメは自分の知識を遥かに超えたオタクの人ばかりだったし、旅行サークルは飲み会が激しい体育会系で、自分の気質に合いませんでした」(加藤さん)

コンビニでアルバイトをしてみても、品出しをしながらも客が来たらレジをするというマルチタスクがこなせない。5000円札を渡された際に1000円札と間違えてパニックに陥ってしまうこともあった。結果、4日で辞めた。塾講師は1年弱続けられたが、生徒に教えながらも合間を見て報告書を書くという作業が難しかった。唯一問題なくできたバイトは年賀状の仕分けだった。

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