35歳女性社長が変えた「突っ張り棒」の常識

平安伸銅工業は、新需要をどう開拓したのか

平安伸銅工業は、日本で最初に突っ張り棒をヒットさせたリーディングカンパニーです。

およそ40年前に竹内社長の祖父が渡米した際、シャワーカーテンを吊り下げる道具として使われていたテンションポール(=突っ張り棒)に注目。日本に持ち帰り、改良を重ねて突っ張り棒として発売しました。

40年前、わが国では、都市部への人口集中と手狭な住環境が問題となり始めていました。特に賃貸住宅は引っ越し時に原状回復が原則です。手狭な室内なのに釘を使った棚を作ってしまうと原状回復ができません。そこで皆はこぞって、部屋のスペースに合わせて棚を設けることができる突っ張り棒を購入したのです。

「突っ張り棒」は日本で独自に進化した商品

「アメリカでは、日本のような突っ張り棒的な使われ方はその後もありません。洋服も吊るせて、耐荷重80キログラムといった商品は日本だけです。ガラパゴス的に日本独自に進化した商品だと思います」と竹内社長。日本の住宅事情にフィットした同社の突っ張り棒は、最盛期の1995年、50億円もの売り上げがありました。

竹内香予子社長(写真:平安伸銅工業)

しかし、競合他社が次々に参入。価格競争も激化して、かつて同社で1000円以上で販売していた製品の類似品が、100円ショップに並ぶような時代になっていました。気がつけば、2010年の売上高は14億円まで縮小。最盛期の3割弱にまで激減していたのです。

当時、竹内社長は新聞記者として滋賀県の支局に配属され、県警や県庁を担当。入社3年目で会社組織の壁にぶち当たり、自分が単なる歯車のひとつにすぎないような焦燥感にとらわれていました。

そんな時、社長だった父親が体調を崩します。「本当に自分を必要としてくれる場所があるならば、そこで頑張ろう」と思った竹内さんは2010年、平安伸銅工業への入社を決意します。

娘の決意を聞いたご両親は、驚きました。企業経営の厳しさを知るだけに、親心として子どもに会社を継がせようとは思っていなかったのです。「でも、私が自分の意志で『やりたい』と言ったことを、最終的にはとても喜んでくれました」(竹内社長)。27歳、逆風下での船出でした。

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