私は息子が死んだ理由を教えてほしいだけだ 19遺族が争う大川小訴訟の控訴審を控えて

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高裁での審理となり、学校防災が争点となったことで私は、他校の避難行動を知るために、教員に知り合いがいる私の友人を介し、震災当時の避難行動を聞かせてもらいたいと伝えてもらいました。ところが、裁判に関わっている私のことを話したとたん、教員らは話はできないと断ってきて、こう言ったそうです。「避難行動と言えども、コメントすれば裁判に関わったことになる。亡くなった子供達のことを思うと胸が痛むが、たとえ大川小の避難行動が間違っていたとしても、亡くなった大川小の先生達を批難することはできない。」一見、同僚をかばっているような話しぶりですが、私には、保身のための「組織防衛」「事なかれ主義」の言葉にしか受け取れませんでした。組織の中で足並みを揃えることが、そんなに大事なことでしょうか。大川小の避難行動が間違っていると認識しているのであれば、どうして声を上げて正そうとしないのでしょうか。大川小の事件に対して教員らの受け止め方がこの程度では、今後も子供達の命を守ることなどできません。また、証人尋問において、潮見裁判官が山田元郎氏に「教育専門家として児童の安全は教職員が守りますから安心してくださいと、そのような言葉は述べられませんか」と尋ねた際、山田氏は最後まで「児童の安全を守れる」と言及することはありませんでした。児童の命を軽んじている、こうした山田氏の発言こそが、今の教育委員会の実態であります。子供の安全を守れない山田氏のような人が、今現在も幼稚園の園長職に就き、教育現場に身を置いているこの現状に大変脅威を感じます。大川小の避難行動の一番の原因はまさしく「組織防衛」「事なかれ主義」だったということを、教育関係者一人一人が自覚し、今一度どうすれば児童の安全を守ることができるのかを真剣に考えるべきです。

「私も見つけてもらったら抱っこしてもらいたい」

最後に子供達からのメッセージを読み上げます。私は鈴木巴那です。私はあの日、地震の後、寒さと怖さで体の震えが止まらなくて、校庭でお友達と手をつないで励ましあいました。お友達のお母さんが次々とお迎えに来るのを見ていて、私も迎えに来てもらいたいなぁって思ったけど、お父さんもお母さんも仕事で迎えに来れないのはわかっていたから、諦めて先生の言うことを聞いて、じっと待っていました。お利口にしていれば絶対大丈夫だって思っていました。

でも、校庭から出るとすぐに、ものすごい勢いの津波がきて、私は流されてしまいました。私はあの日から、まだお父さんとお母さんの所に帰れずにいます。他のお友達は見つけてもらって、お父さんとお母さんに抱っこしてもらったりしたけど、私はまだしてもらえません。私も見つけてもらったら抱っこしてもらいたい。ずっとそう思ってきたけど、もうその願いは叶わないみたい。だって、もうすっかり骨だけになっちゃったんだもの。でも、こんな姿になっても、お父さんとお母さんの所に帰りたいなぁ。あの日の朝お母さんが「いってらっしゃい」って、いつまでも見送ってくれたっけ。あれがお母さんとのお別れになってしまったね。大好きな学校で、頑張って泣かないで先生の言う通りにしていただけなのに、どうしてこんな悲しい目にあうの? どうして私はお父さんとお母さんの所に帰ることができないの?

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