私たち19遺族は本当のことを知りたいだけだ

大川小はなぜ51分間も校庭に留まらせたのか

教師の指示に従い校庭にとどまることになったという
さまざまな社会問題と向き合うNPOやNGOなど、公益事業者の現場に焦点を当てた専門メディア「GARDEN」と「東洋経済オンライン」がコラボ。日々のニュースに埋もれてしまいがちな国内外の多様な問題を掘り起こし、草の根的に支援策を実行し続ける公益事業者たちの活動から、社会を前進させるアイデアを探っていく。

宮城県石巻市の大川小学校。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の大津波。当時校庭にいたとされる78人の児童のうち、70人の児童がここで亡くなり、4人の児童が今も行方不明のままだ。11人いた教職員も10人が命を落とした。

当時6年生だった3男雄樹君を亡くした佐藤和隆さんと、3年生だった長女未捺(みな)さんを亡くした只野英昭さんに現場を案内してもらった。

只野さんの長男で、当時5年生だった哲也君は、津波に飲み込まれながらも奇跡的に助かった1人。覚悟を持って自らの経験を語り続けている。

「俺らの自慢は、ここは自然でないものはないという場所だったので。山あり川あり海あり湖あり。ないものがない場所だったんですけど。あの3.11の津波はすごい津波だったと言われています」(只野さん)

「山さ逃げっぺ」届かなかった子どもの声

本記事はGARDEN Journalism(運営会社:株式会社GARDEN)の提供記事です

あの日。

地震から津波到達までは51分。

子どもたちは教師の指示に従い校庭にとどまることになった。大津波警報は全員に伝わっていた。

「ここにいたら死ぬ」「山さ逃げっぺ」と訴える児童もいた。「津波が来ます、高台へ」。市の広報車や防災無線の呼びかけも聞こえていた。

「当時この校庭には敷地内には防災無線があって。2時46分と3時37分の2回、『大津波警報発令、沿岸や河川に近づかないでください』という放送を連呼してたんですよね」(只野さん)

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