戦国の合戦「最大の番狂わせ」はどれだったか 信長、家康、信玄…「まさか」は、あの戦い?

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「最大の番狂わせ」は、この城をめぐって争われた「あの戦」でした(画像:LOCO / PIXTA)
勝負の世界は、必ずしも実績や名声が結果に直結するとは限らない。
戦国時代にも、誰もが知る著名な武将たちは、ほぼ例外なく戦場での「番狂わせ」や「予期せぬ事態」に遭遇していた。そして、それが本人の運命を大きく左右したケースも少なくない。
「日本史を学び直すための最良の書」として、作家の佐藤優氏の座右の書である「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計20万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、「戦国の番狂わせ」を解説する。

本能寺の変は足利義昭が黒幕?

2017年9月、「本能寺の変」に関連する手紙の発見が大きなニュースになりました。

見つかったのは、事件の犯人だった明智光秀が書いた手紙の自筆原本で、彼が主君の織田信長を暗殺した10日後、豊臣秀吉と戦って敗れることになる山崎の戦い前日に、反信長派の紀伊雑賀衆(さいかしゅう)土橋重治(つちはし しげはる)に宛てたものです。

この手紙は、手書きの写しは知られていましたが、原本からは光秀の筆跡や細かい折り目などから「密書」の緊迫した雰囲気も感じられ、貴重な発見となりました。

書面には、信長に追放されて鞆(とも)の浦(広島県福山市)に身を寄せていた将軍足利義昭を、光秀が再び京都に迎えようと奔走している様子が書かれており、これを根拠に、本能寺の変は光秀による単独犯行ではなく、「義昭が黒幕」だった可能性を指摘する声もあります。

もちろん、これには反論もあり、窮地に立たされた光秀が、味方を募るために将軍の名を利用した、たんなる「フェイクニュース」を出したのだとする説など、事件の真相をめぐってはこれからも議論が続きそうです。

ところで、「本能寺の変」は天下統一を目前にした信長にとって、まさに「番狂わせ」な出来事でした。そもそも戦国時代には「予想外の結末を迎えた合戦」は数多く存在します。

そこで今回は、あの有名武将も直面した「番狂わせ」について解説します。

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