天才音楽少年が風俗業界で働き続ける事情

コンクール優勝者が「デリヘルドライバー」に

風見は1967年生まれ。船橋市の公営団地にて、公務員をしていた共働きの夫婦のもとで育った。彼が3歳のときだった。NHKテレビでオーケストラ演奏が中継されていた。するとまだ字も書けないような幼い子が第一バイオリン奏者を指差し、「ボク、あれをやってみたい」と母親に告げたのだという。

風見自身にはまったく記憶がない。教育熱心で若い頃はひそかにピアニストを目指したこともある母親は、すぐさま町内にあったバイオリン教室へ息子を通わせることにした。才能が開花するまでさほど時間はかからなかった。教室の先生は、「この子は私のところで習わせるにはもったいない。もっと専門の、有名な先生につかせた方がいい」と母親に助言した。

「全日本学生音楽コンクール」バイオリン部門で優勝

抜群に耳のいい少年だった。ある曲を一度聴くだけで、旋律を覚えるだけでなく、曲の持つ微妙なニュアンスまでを精緻に弾きこなした。そして中学3年のとき、毎日新聞社の「全日本学生音楽コンクール」、バイオリン部門で優勝した。

ただし、彼は音楽一筋の真面目な子どもではなかった。何しろたいして練習しなくても弾けてしまうので、家ではサボッてばかりいた。親はうるさく注意したが、友だちが「野球しようぜ!」などと呼びにくると、窓から抜け出して遊びにいった。この慢心と遊び好きが、やがて彼を堕落させていくことになる。  

学生日本一の称号をひっさげ、風見は名門・桐朋学園に推薦入学で進学する。同期には指揮者の渡邊一正(現・東京フィルハーモニー交響楽団)、バイオリニストでは1学年下に高嶋ちさ子がいた。その頃に両親が離婚、お嬢さんお坊ちゃんばかりの中で、母親に引き取られた風見は奨学金をもらい、4畳半2人部屋の学生寮で暮らしながら音楽に励んだ。

しかし、やがて彼は道を踏み外し始める。学費は免除されていたが、それでも寮費や生活費は必要だ。歌舞伎町のディスコの黒服など、水商売のアルバイトを始める。すると生来の遊び好きの血が騒いだ。時代はバブル真っ只中、元々端正な顔立ちで女性にモテた風見は、バイオリン専攻の音大生いう肩書きもあって、派手なボディコンに身を包んだ女の子たちからちやほやされた。

酒とセックスに溺れた。練習不足になり、バイオリンは当然のように壁にぶち当たった。桐朋学園「ソリスト・ディプロマ・コース」という7年間のエリート音楽家育成コース、その最終学年22歳にして、風見はすべてを断念する。「まったく違った道を目指してやれ」と、退学してホストの道を目指すのである。息子の成功を願い、離婚後は住み込みの家政婦をして仕送りを続けていた母親は号泣したという。

彼が選んだのはカリスマホストの愛田武が経営する歌舞伎町『愛-本店-』。ホストも決して甘い世界ではなかったが、根っから性格が明るく社交的な風見は、すぐにナンバーテンに数えられる人気者となった。ところが、ひとりの客が1日に1000万円使うことすらあり、プレゼントにフェラーリ1台なんてのは序の口の時代、とある出来事からその仕事を辞めなければならないこととなる。

客の女性がよくやる、若いホストへのいじめにも似たゲームだった。帯付きの100万円の束をテーブルにポンと置き、「コルドンブルー1本、ピッチャーに開けなさい」と彼女は言った。飲み干すことができたらあげるというわけだ。酒好きで負けず嫌いの風見は笑顔で、「いただきまーす」と飲んだ。そして、飲み干しトイレに行こうと立ち上がったところで昏倒する。

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