日本が貢献した「イスラム紛争終結」の舞台裏 ミンダナオ和平プロセスは成田から始まった
欧州への大量の難民、相次ぐテロ事件、そして終わりの見えないシリア内戦――。いま中東が大きく揺れている。「イスラム世界との付き合い方」が国際社会の焦点になっているといっていいだろう。
とはいえ、多くの日本人は「イスラム問題は日本とは直接関係ない遠い世界のこと」と考えているのではないだろうか。実はすぐ隣のフィリピンで40年余り“イスラム紛争”が続き、その終結と和平プロセスに日本が深くかかわってきたことは、ほとんど知られていないかもしれない。本稿では、その全容について解説していく。
キリスト教国で起きたイスラム紛争
フィリピン南部にあるミンダナオ島は同国で2番めに大きい島。ロドリゴ・ドゥテルテ現大統領の地元としても知られる島だ。安倍晋三首相が今年1月の外遊時には、同島最大の都市ダバオを訪ね、市民の熱狂的な歓迎を受けた。ダバオ市長を長く務めていたドゥテルテ大統領の自宅寝室にまで招き入れられたことは、日本でも話題になった。
ダバオは日本とも縁が深く、戦前は2万人規模の日本人街があった。今日スーパーに並ぶバナナやパイナップルの大半はミンダナオ産だ。ここからはマグロも日本向けに輸出されている。日本人にとって意外に身近な熱帯の島なのである。
そんなミンダナオ島南西部の「バンサモロ」と呼ばれるイスラム地域を中心に1970年以降、分離独立を求めるイスラム武装勢力と政府軍の武力衝突が続いた。これが「ミンダナオ紛争」である。2014年の包括和平合意まで、死者十数万人、避難民は数百万人に上り、東南アジアで最も長く続く紛争として、フィリピンが抱える最大の国内問題だった。
そもそもASEAN(東南アジア諸国連合)唯一のキリスト教国フィリピンでなぜイスラム紛争が巻き起こったのだろうか。
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