グランクラスより儲かった国鉄の「特別座席」 1カ月ちょっとで元が取れた「パーラーカー」

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東海道新幹線開業前、東海道線の花形だった特急「つばめ」の151系電車(写真:c6210 / PIXTA)

東北新幹線や北陸新幹線の列車に連結されている「グランクラス」の原型は、国鉄時代に存在した「パーラーカー」だ。パーラーカーとは特別座席を備えた一等車(現在のグリーン車)で、グランクラスと同様に制御車と呼ばれる先頭車であった。

パーラーカーは151系という国鉄の特急電車の一車種である。151系自体は1958年11月1日に東京―大阪・神戸間の特急「こだま」2往復でデビューを果たしたが、パーラーカーは1960年6月1日、それまで機関車が牽引する客車列車として運転されていた東京―大阪間の特急「つばめ」「はと」を151系に置き換える際、まず6両が製造された。最終的には12両造られ、いずれも下り列車の先頭車となる1号車として活躍を続けた。

パーラーカーの客室は区分室(コンパートメント)と開放室との2つがあり、区分室は9.53平方メートルの客室に2人がけのソファーが向かい合わせに並ぶ。もう一方の開放室は23.0平方メートルの客室に、通路を挟んで両側に1人がけの腰掛けが7列並ぶ。区分室と開放室とを合わせた定員は18人で、偶然にもグランクラスと同じだ。

目的どおりの活躍はわずか4年

1964年10月1日に東海道新幹線が開業すると、151系は山陽本線方面または上越・信越・中央の各線方面の特急列車へと転用された。当時、パーラーカーは踏切事故で廃車となった1両を除く11両が存在したが、豪華なパーラーカーを利用する人の数は東海道本線ほど多くはないと国鉄は予想しており、1973年までにすべて普通車に改造されてしまった。その後、老朽化のため1975年から1978年にかけてすべて廃車となり、保存された車両は存在しない。

ところで、パーラーカーを振り返ると1つの疑問が頭をよぎる。設計時に期待された役割を果たした期間はデビューから東海道新幹線開業前日の1964年9月30日までのわずか4年4カ月間であり、しかもこの期間で使用が終わることは当初から予想されていたからだ。

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