「日本国籍」取得した元米国人の斬新な本音 国籍とはもっと柔軟な概念であるべきだ

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もっとも、それは日本に限ったことではない。たとえば米国人の場合、国の歴史が浅く確固とした文化的統一性に欠けていることから、しばしば文化的アイデンティティの代わりとして深い愛国心と国家的アイデンティティに頼っているところがある。

実際、多くの米国人にとって(悲しいことに)「真の米国人」とは米国で生まれ育った人のことを意味する。欧州諸国は一般的に、より国際的かつ広い視野で世界をとらえているが、それでも隣国同士でも異なる文化が歴史を持つことから、問題が生じることがある。結果、個人的なアイデンティティの一部として国籍にしがみつく人たちも多く見受けられる。

「国籍」を選べる時代になっている

しかし、実際のところ今日の世界では、国籍はますます個人のアイデンティティとは関連性が薄くなっているのではないか。グローバル化や、文化、思想の国際的統合に加え、世界中で人の移動が容易かつ盛んになっていることや、グローバル企業の台頭などによって、個人レベルでも、より自らの生活や思想などに見合った選択をする人が出てきている。具体的にいえば、より多くの人が自らの意思で海外に移住し、そこで永住権を得たり、国籍を取得したりし始めているのである。

一方、シリア難民問題はこれとは異なる。内戦によって国外退去を余儀なくされた人たち、特に若者の多くは今後、自らのアイデンティティをどのように形成し、周りから「何人」として見られるのかという問題に直面することになるだろう。つまり、自分のアイデンティティにおける国籍の重要性が低下する一方、特定の国家との法的なつながりだけが残るのである。

ある人の文化的、あるいは民族的なバックグラウンドは変わることはない。しかし、国籍はもはや凝り固まった方法で定義されない、柔軟性のある概念であり、変更することも可能なのだ。こうした考えが世界に浸透するにはまだ時間がかかるだろう。しかし、国籍についてより柔軟に考えるべき時はきている。

結局のところ、国籍の意味や意義は、客観的に語れるものではない。国籍とは極めて個人的なものであり、また、個人の深い問題にかかわるものである。そしてこれは、私のような、生まれてきた国とはまったく異なる文化に、その社会の一員として身を置きたい人たちにとっては、さらなる自由とより多くの機会を手にすることを意味する。あるいは、亡命先で生まれたシリア難民にとっては、新たな国での出発を意味するかもしれないのだ。

真木 鳩陸 フリーランス翻訳家、ライター

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まき ぱとりく / Patrick Mackey

米国・オレゴン州生まれ。2004年早稲田大学で留学、2006年オレゴン大学卒業後、日本に移住。兵庫の旅行会社でライター・HPコンテンツ制作担当をした後、大阪の翻訳会社で翻訳家、コピーライター、校訂者を経て、フリーランス翻訳家・ライターに(現在は九州に在州)。『Osaka Insider: A Travel Guide for Osaka Prefecture』『Finding Fukuoka: A Travel and Dining Guide for the Fukuoka City Area』を出版。2016年12月に日本国籍を取得。連絡先:makipatoriku@gmail.com

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