寝具業界にはイノベーションが起きていない。だから、勝てると思った | 愚直に続けたから 成功した、 ワケじゃない

寝具業界には<br />イノベーションが起きていない。<br />だから、勝てると思った

寝具業界には
イノベーションが起きていない。
だから、勝てると思った

高岡本州
エアウィーヴ会長

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2016年11月に行われたEYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー(EY Entrepreneur Of The Year)日本大会で、日本代表に選ばれたのはエアウィーヴ会長の高岡本州氏。07年に「高反発」という新しいコンセプトのマットレスパッドを発売し、成熟した寝具業界においてわずか7年で120億円を超える売り上げを達成。カテゴリートップのポジション獲得と高いブランド力を確立した。高岡氏の経営哲学とは。そして、6月にモナコで開催されるEYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー世界大会では何を目指すのか。


EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーでは
プレッシャーもありました

――2016年EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの日本代表に決定されました。今のお気持ちをお聞かせください。

高岡代表に選出されるまでの過程をフェイスブックにアップしましてね。おかげさまで、今までで最高の「いいね!」がつき、そのうち4分の1の方々からコメントをいただきました。もちろんコメント数も過去最高です。それも2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会のスポンサーに決まった時よりも多かったのですから驚きです。知り合いには金融系やベンチャー系の方々も多く、もともとこの表彰に対する注目度は高い。中には「日本一は仲間の誰も取ってないから、お前が取ってこい」という声もあったので、プレッシャーもありました。選出されて本当にありがたいです。

 実はかつてEYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーと似たような賞に応募したことがあります。二次選考まで進み、審査に関係する大学の教授たちからインタビューを受けたのですが、私たちのブランド戦略をなかなか理解してくれません。ビジネスは面白いと評価してもらったのですが、「5年のうち3年赤字ではダメだ」と言われました。皆さん、ブランド戦略もベンチャービジネスというものもどういうものか理解されてない。初年度から黒字になるのなら、誰もがやるわけです。われわれの事業をわかってもらえないなら、賞に出てもしょうがない。そう思っていました。

 でも、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは違いました。審査委員は実際に事業を行っているすばらしい方々で、ブランドの大切さも、ベンチャーの厳しさについてもよく理解してくれている。そんな審査員の皆さんに評価されたことは何よりもうれしかったです。

 また、授賞式のためにプレゼン戦略を一緒に練ってくれた会社の仲間には感謝しています。彼らの後押しがあったからこそ受賞できました。

 実際のところ、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの受賞効果はすごい。たとえば、「ハフィントンポスト」の創業者であるアリアナ・ハフィントンが最近刊行した『スリープ・レボリューション 最高の結果を残すための 「睡眠革命」』という本があります。同じ睡眠の研究ということで話を聞きたくて連絡を取ったのですが、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの日本代表に選ばれたと自己紹介すると、難なくアポが取れてしまいました。こうした効果は会社にとって非常に大きいですね。


自分のDNAには
モノづくりの魂が組み込まれている

――2004年にエアウィーヴの前身となる中部化学機械製作所の社長になるまで、簡単にご経歴をお話しいただけますか。

高岡私は名古屋生まれの名古屋育ち。地元の名古屋大学工学部を卒業した後、経営の勉強をしたいと思い、慶應義塾大学のビジネススクールに進みました。当時の慶應ビジネススクールは8割の人が企業から派遣された社会人でした。22歳の青年からすれば、そこで優秀な大人のビジネスマンに出会えたことは大きな刺激となりました。卒業後は旧長銀系のシンクタンクに内定していたのですが、父から反対されて、結局、実家の経営する日本高圧電気に入社することになりました。

 と同時に、会社の幹部から「留学しろ」と言われました。そこで4月に入社して、その2カ月後にスタンフォード大学の大学院に留学することになりました。慶應には、ハーバードやスタンフォード、ウォートンスクールにいた先生も多く、いろいろ教えていただいたし、今考えると慶應のビジネススクールに入ったことで世界が広がったと思います。

――留学先のスタンフォード大学はいかがでしたか。

高岡工学部の修士課程に入学したのですが、1年は懸命に勉強し、卒業のための単位を取ったあとのもう1年は遊んでいました(笑)。大学のあるシリコンバレーでは、1980年代のマイクロソフト、アップルなど当時の新興企業を間近で見てきたのは大きな経験になりましたね。

 当時はアップルのマッキントッシュが出てきて、マイクロソフトのソフトがNECに採用されるなど、まさにIT関連企業の勃興期。しかも、そこにはベンチャーキャピタルがあって、ビジネススクールがあった。当時の最先端に触れた経験は非常に大きかったですね。私にとっては、外国に対するハードルが一気に低くなりました。だからこそ、エアウィーヴというビジネスも最初からグローバルに指向することができたのだと思います。

――当時のシリコンバレーはどのようなところでしたか。

高岡すでに半導体のテキサス・インスツルメンツやアップルがあって、いわゆるコンピュータが小型化に向かう時代で、世界中から才能ある人々が集まりつつありました。私は87年に卒業したのですが、当時のシリコンバレーはまだモノづくりが中心だったと記憶しています。

 90年代半ばにスタンフォードに留学した人たちはアップルなどに入社したり、起業したりと華々しい活躍をしています。そんな彼らを見つつ、私はと言えば名古屋の日本高圧電気という地味な会社を経営している。「もし90年代に留学していれば、ネット系の会社を興していたかもしれない。もっと違う人生があったかもしれない」。そう思ったこともありました(笑)。

 でも、その一方で今も自分のDNAの中には、「モノづくりこそが事業だ」という意識もあります。やはりモノづくりが好きなのでしょう。

 


伯父の経営不振会社を引き受け、
マットレスパッドをつくり始める

――帰国後、お父様の会社を継いで日本高圧電気の社長になり、2004年に伯父さんが経営する会社を引き継ぐことになります。

高岡伯父の会社である中部化学機械製作所がどうしても立ち行かなくなりました。会社をたたむのがいちばん早かったのですが、やはり地元で長くやってきただけに工場を更地にしてしまうのはなんとも悲しい。そこで「お前ならやれるだろう」と伯父から声をかけられて、引き受けることになったのです。

 その時は日本高圧電気の関係会社として引き取ったのですが、いざ始めてみると、どう考えても従来の事業は時流からはずれていて、衰退の一途です。それでも会社をやる以上、黒字にしなければなりません。そのため、もともとあった樹脂素材をもとに高反発のクッション材を開発し、販売するという業態転換を図りました。しかし、2年やっても赤字続き。そこで黒字にするためにマットレスパッドをつくり始めたのです。この時に、日本高圧電気の役員である父との意見の相違がありました。考えてみると、会社の性格が違うため当たり前です。

――そこから上向いていったのですか。

高岡いえ、そう簡単にはいきません。事業をBtoBからBtoCに切り替えても、1年目に1億円の赤字を出して、2年目もまた1億円の赤字を出しました。その頃がいちばん大変でしたね。

 そこで日本高圧電気から、私の退職金も含めて4~5億円を借りました。しかし、日本高圧電気から何度もお金を借りるには限界もあります。そこで、借金せずに済むよう地道に経営しながら、09年に日本高圧電気からエアウィーヴを分離させました。

 その後、売り上げは少しずつ伸びて10年には約3億円になっていましたが、11年に一気に約10億円と3倍に伸びました。これはそれまでの地道に続けてきたブランディング、販売活動の成果が出たものだと考えています。

 


寡占化した寝具業界なら
イノベーションを起こせる

――なぜ高反発のマットレスに注力しようと思ったのですか。

高岡一つは私自身が過去にむち打ちになったことで、低反発の寝具に不具合を感じていたからです。もともと寝返りを楽にするには、筋肉のスピードに合わせて寝具が反発する必要があります。力学的に考えても、寝返り時の筋肉の動くスピードよりも遅い低反発は人間の体になじまないのです。

 もう一つ、この寝具業界には長くイノベーションがなかったからです。寝具業界をMBA的な視点で見ると、寝具という商品への購買行動は、買うことを決めた人しか売り場に来ない傾向があります。仮に三つの商品を比べて、一つを選ぶとすると、ほかの二つは永遠に体験できません。実際に売り場で睡眠を取ることはないからです。触って寝転んだ時のフィーリングのみで選びますから、本当の意味での比較ができないのです。

 結果として寝具業界は、売り場をいち早くおさえた、知名度のある会社が勝ちです。だから、寝具業界は典型的な寡占化の業界なのです。しかも、マットに使われるコイルは100年以上も変化していないという状況です。こうした長くイノベーションが起きてない業界だからこそ、勝てると思ったのです。

――そこから、独自のブランディングやマーケティング戦略を始めるわけですね。

高岡まずは、どのように商品の良さを消費者に伝えていけばいいのかを徹底的に考え、2008年北京五輪に出場した北島康介さんにアプローチしました。なぜオリンピックアスリートなのかと言えば、オリンピック期間中のアスリートは最も睡眠にこだわる人たちだからです。

 商品の良さを証明するには、こだわりのある人に認めてもらわなければなりません。実際、北島さんに使ってもらえることになり、これでエアウィーヴの良さが伝わると思いました。北島さんが五輪後に帰国され、空港でカート上に載ったエアウィーヴを見た時は、本当にうれしかった。

 でも、周りにそのことを話しても良い反応が返ってきません。これだけがんばって五輪選手に使ってもらったのに、一般の方々やメディアにも浸透していない。その時にいかにコミュニケーションが大事か、PRが大事かと思い知らされました。

――次はどのような手を打ったのでしょうか。

高岡さまざまな手法を考えました。寝具業界は、買うと決めた人に売り場で売り込むプッシュ型のマーケティングが主流です。しかし、私たちは反対にそれをプル型に変えようとしました。買うと決めないまでも興味のあるお客様に売り場まで来ていただくように促すのです。そのため、お客様の体感できるところでエアウィーヴのイメージが得られる環境をつくろうとしました。その一つが、飛行機のファーストクラスの座席でした。

 すべての航空会社を回って、2010年にようやく1件、大手航空会社に導入されました。五輪選手がエアウィーヴを使っている写真をたくさん見せたことが決め手でした。航空会社への採用機会は5~10年に一度の機材の切り替えのタイミング時ぐらいしかありませんが、アスリートが使ったという実績が評価され、大手航空会社の重い扉を開けることができました。

――その後、CMなども広告展開を拡大されています。

高岡2010年の売り上げが約3億円でしたが、11年に浅田真央さんと契約し広告を打ち始めたことで、売り上げが10億円と3倍に伸びました。真央さんがアスリートである以外に、国民すべてに愛される人柄、明るさというアピールポイントがあったからこそ絶大な効果を得られましたが、同時にそれまでのブランディングの取り組みが花開いたとも言えるでしょう。

 そして、プル型のマーケティングが大いに効果を発揮することになりました。売り場にお客様が集まってくれば、売り場を広くしてもらう。そこに地域別に広告をかぶせていく。さらに売り場に人が来たら、今度は売り場をショップ化する。ショップ化すれば、それ自体が広告になっていくのです。まさに相乗効果でした。

 エアウィーヴは認知度を高めないかぎり、売れない商品です。最初は百貨店の棚を一つもらって売っていました。でも、売り場をもらうのはなかなか大変です。ですから、私たちは売れるごとに、ショップ化していったのです。ショップ化すれば棚が自由に使える。百貨店には高級ブランドと同じようなショップが欲しいと言っていたのですが、むろん「まだ早い」と言われることもありました。しかし、百貨店にとっても、売り場当たりの利益額は高くなる。ショップ化はお互いにとって良い効果を生み出すWin-Winモデルなのです。

高岡本州(たかおか・もとくに) エアウィーヴ会長1960年愛知県生まれ。名古屋大学工学部応用物理学科卒業後、85年に慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了。同年、父親の経営する日本高圧電気株式会社に入社。87年にはスタンフォード大学大学院経済システム工学科修士課程修了。98年日本高圧電気代表取締役社長(現任)。経営不振の伯父の成型機械製造会社を引き受け、2004年に中部化学機械製作所(現エアウィーヴ)を設立。14年よりエアウィーヴ代表取締役会長

ビジネスマンは野球選手と違い、
何度でも打席に立つことができる

――今後は、海外市場の拡大も視野に入ってきます。

高岡寝具市場はグローバルに見ても、イノベーションが少ないと言えます。なぜなら、睡眠研究がなかなかできないからです。研究するには、健康な人たちを集めて長期間、睡眠状態のモニターをしなければなりません。しかし、被験者として健康な人を集めることは難しいですし、コストもかかる。睡眠障害の人の研究は進んでいますが、健康な人の睡眠の研究はあまり進んでいないのが実情です。そこで私たちは2011年にスタンフォード大学と共同で睡眠研究を始め、その後、アスリート養成期間である米IMGアカデミーの寮にいる若い健康な人を被験者にして、睡眠の質と運動能力に関した共同研究を始めることになりました。

 他方、これから海外展開を積極的に図っていくには、綿密なマーケティング戦略が必要になってきます。マーケティングとは、地域性や国の成熟度によって変わっていくもの、いわば地上戦です。すでに中国、アメリカ、シンガポール、香港などで現地に入って、実際にビジネスを始めているところもあります。しかし、すぐに日本と同じような展開ができるとは思っていません。なぜかと言えば、マーケティングと販売はローカル戦だからです。ローカルを知っているのはローカルの人です。ブランディングはグローバルに共通するアセットですが、これから海外展開を拡大するには、現地で一緒に仕事をするパートナーを見つけなければなりません。地元マーケットに応じた戦略とパートナーが必要になってくるのです。

 そういう意味では、6月にモナコで開催されるEYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの世界大会は本当に楽しみです。エアウィーヴの存在を大いにアピールしたいと思っています。

――この記事のテーマは「愚直に続けたから成功した、ワケじゃない」というものです。エアウィーヴが成功した要因の一つはブランディング戦略だと思いますが、その一方でアントレプレナーとして愚直に続けているものはありますか。

高岡愚直に続けているものは、いわゆるブランディングとエアウィーヴが認知のないところへの「営業」です。エアウィーヴは海外ではまだ無名ですし、国内でもまだ手が届いていないところがあります。そのため、よりハイエンドなところに売り込むためには、やはり私自身が売り込んでいかなければならない。

 私が社長を退いて会長になったのも、「営業」に時間を割けるからです。海外で、エアウィーヴのことはまだ知られていません。そこでウチの営業マンが行ってもなかなか相手にしてもらえませんが、創業者が来たとなると話は別です。やはり創業者にはどの国でもリスペクトを持って接してくれますから、それを利用しない手はありません。それに、会社のすべてのストーリーを話せるのは私だけです。ですから「営業」だけは愚直に続けています。

 成功についてですが、私はまだ成功したと思っていません。まずは国内をもっと拡大させ、海外ですばらしいパートナーを見つけてコラボしていく。将来的には「クオリティ・スリープ」を世の中に知らしめることができ、そこにエアウィーヴの名が挙がるとしたら、それが私たちの成功だと考えています。最近、睡眠の計測をして質を測る睡眠アプリを出しましたが、「睡眠の質」に光が当たれば、そこから新しい展開も考えられます。

 ビジネスは成功よりも失敗のほうがつきものです。私も数え切れないくらいの失敗をしています。でも、ビジネスマンは野球選手と違い、何度でも打席に立つことができます。失敗しても修正して、再チャレンジすればいいのです。自分の打席を待つ必要もなく、打席を自分でつくればいい。

 そういう意味では、私が打席に立つ回数は多いですし、行動範囲は広いですね。この2年で、世界一周を10回、欧米へのシングルトリップが5回、アメリカに行ったのが11回。飛行機の機内で合計50日くらい寝ているのではないでしょうか。それでも疲れずに元気にやっています。いつも出張にはエアウィーヴを持ち歩いていますから(笑)。

(撮影:今 祥雄) 


 

“世界一”を決める起業家表彰制度
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーとは?
 EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは、1986年にEY(Ernst&Young=アーンスト・アンド・ヤング)により米国で創設され、新たな事業領域に挑戦する起業家の努力と功績を称えてきた。過去にはアマゾンのジェフ・ベゾスやグーグルのサーゲイ・ブリン、ラリー・ペイジらもエントリーしている。2001年からはモナコ公国モンテカルロで世界大会が開催されるようになり、各国の審査を勝ち抜いた起業家たちが国の代表として集結。“世界一の起業家”を目指して争うこのイベントは、英BBCや米CNNなど、海外主要メディアで取り上げられるほど注目度が高い。