あのJヴィレッジは?福島原発20キロ圏内の今 一部立ち入り緩和も,広野・楢葉・富岡町の苦難続く

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⑦富岡第一中学校前での除染作業(富岡町)

自動車は再び国道6号線に戻り、さらに北上し続けると福島第二原発入り口を過ぎて富岡町に入った。そこで見た光景は原発事故から2年が過ぎた現在、想像しがたいものだった。

富岡町小浜の交差点を右折するとJR常磐線富岡駅前に通じる道が延びている。道路の左側に位置する富岡第一中学校の前では除染作業が始まっていた(写真⑦)。

放射線量を示すモニタリングポストの数値は毎時3.4マイクロシーベルトと高い値を示していた。それでもこの地区は、年間の推定放射線量が20ミリシーベルトを下回ることを理由に、最も早期に帰還が可能と見込まれる避難指示解除準備区域に線引きされていた。

震災直後の街並みが今も

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⑧津波で被害を受けた美容院(富岡町)

富岡町は津波被害の大きさでも際立っていた。駅に向かう道の脇には津波に飲まれてひっくり返ったままの自動車が放置され、美容院の看板は大地震が起きた2時46分のままになっていた(写真⑧)。

富岡駅にも津波が押し寄せ、構内の鉄柱はひしゃげて無惨な姿をさらしていた(写真⑨)。

富岡町は福島第一原発に近いこともあり、汚染レベルは楢葉町よりはるかに高い。中でも、町北東部の夜ノ森地区は最も放射線量が高い「帰還困難区域」(年間積算線量50ミリシーベルト超)に区分され、許可無しでの立ち入りが禁止されている。

同区域に通じる道には至るところに「開閉式バリケード」)や「H鋼バリケード」が設置されており(写真⑩)、桜で名高い夜ノ森公園にたどりつくことはできなかった。

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⑨富岡駅も津波で流された(富岡町)

原発事故直後に着の身着のままで避難したことを物語るように、住宅の2階には洗濯物が干したままになっていた。

この時、伊東さんが持参したガイガーカウンターは警報音が鳴り続け、数値は毎時6.3マイクロシーベルトを示していた。放射線量が高いことを理由に、4月20日の「富岡町桜の集い」はバスの中からの鑑賞になった。

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⑩道を塞ぐ開閉式バリケード(富岡町)

政府は避難指示解除をすべきか否かを判断する時期を、帰還困難区域については2017年、居住制限区域(年間20ミリシーベルト超50ミリシーベルト未満)および避難指示解除準備区域について16年と見込んでいる。

だが、富岡町は除染やインフラ復旧に時間がかかることを理由に、「市内全域で5年間は帰ることができない」と遠藤勝也町長自ら宣言している。

推定の放射線量に基づき、避難指示解除を急ぐ国に対して、帰還は容易ではないと受け止める住民。そして小さな町が推定放射線量で分断される悲劇……。旧警戒区域の光景は原発事故の理不尽さを無言のうちに物語っている。

(撮影:梅谷 秀司)

岡田 広行 東洋経済 解説部コラムニスト

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おかだ ひろゆき / Hiroyuki Okada

1966年10月生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1990年、東洋経済新報社入社。産業部、『会社四季報』編集部、『週刊東洋経済』編集部、企業情報部などを経て、現在、解説部コラムニスト。電力・ガス業界を担当し、エネルギー・環境問題について執筆するほか、2011年3月の東日本大震災発生以来、被災地の取材も続けている。著書に『被災弱者』(岩波新書)

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