あのJヴィレッジは?福島原発20キロ圏内の今 一部立ち入り緩和も,広野・楢葉・富岡町の苦難続く

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公園は事故収束作業の前線基地に

金井さんら2人を驚かせたのは、原発事故前には市民の憩いの場としてにぎわっていた二ツ沼総合公園(広野町)が、事故収束作業の前線基地に変貌していたことだ。かつて金井さんが夫や2人の息子とサイクリングを楽しんだ公園内に家族連れの姿はなく、駐車場は他県ナンバーの自動車が並んでいた。

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①二ツ沼総合公園内の作業員宿舎(広野町)

第一原発から20~30キロメートルの距離にある広野町は、原発事故直後に「屋内退避」を国から指示され、1カ月後には「緊急時避難準備区域」となった。町役場の判断により、住民のほとんどがいわき市などに避難した。その後、昨年3月には町役場機能が回復したものの、除染の遅れや放射線被曝への心配から、8割以上の住民がいわき市内の仮設住宅などで今も避難生活を続けている。

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②「ふれあいドーム」は東芝が専有(広野町)

そうした中、二ツ沼公園内にも原発の作業員宿舎が建設されていた(写真①)。人工芝の多目的施設としてフットサルやゲートボールを楽しむことができた「ふれあいドーム」は、事故収束作業を手掛けている東芝が柵で囲い、専有していた(写真②)。

二ツ沼公園から車で5分もしない距離には、Jヴィレッジスタジアム(楢葉町)がある。スタジアムのピッチにも、数多くの作業員宿舎(1ページ目冒頭の写真)が建設されていた。

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③天神岬スポーツ公園のテニスコート(楢葉町)

スタジアムを後にして、現在、東電の福島復興本社が置かれている「Jヴィレッジセンターハウス」に近づくと、かつてあったという「英国のような田園風景」(伊東さん)は完全に失われていた。芝生はすべてはがされ、鉄板が敷き詰められていた。震災直後には、自衛隊や消防の特殊車両が所狭しと並べられ、ここを拠点に作業員が命がけで事故直後の第一原発に突入していった。

Jヴィレッジを後にして国道6号線を北上し、鮭の遡上で知られる木戸川を渡って天神岬スポーツ公園(楢葉町)に到着すると、公園内にある4面のテニスコートには除染作業で発生した土砂を入れる黒いフレコンバッグ(土嚢)が山積みになっていた(写真③)。公園を出ると、ここでも道沿いではプレハブ建築の作業員宿舎が建設中だった。

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