フジテレビの母が、現場職を続けられた理由 「がむしゃらに働く」を支える、”味方”を増やすには

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それに、私は当時入社4年目で大したキャリアもない。ものすごく仕事ができる人が復帰しても、後輩ら周囲の女性陣は『あの人だからできるんだろう』と思うだけですが、平凡な私が復帰したら、『あの人にできるなら私も……』と思ってくれるかもしれない、とも感じましたね」

妊娠中は、上司の配慮で、夜勤はなくしてもらい、取材先のアポ取りや情報のリサーチなどディレクターの補助的な業務に回してもらった。そして、出産後は、実家と会社の中間地点に引っ越して、両家の両親が自宅に駆けつけやすい環境を作り、娘さんを認証保育園に入園させる手筈も整えた。

こうして2008年、出産から7カ月で早くもディレクターにカムバックしたが、待ち受けていたのは、想像以上にハードな日々だった。

子どもが寝ている時間に、仕事を済ます

復帰直後について、藤村さんは「あまりよく覚えていない」という。送った日々がきつすぎて、記憶していないというのだ。

「ディレクターの仕事で悩ましいのは、分業が難しいこと。テーマを決めて、それにあった取材先を探し、実際に取材して、編集する、この一連の流れを、同じ人がやらないことには、取材対象者の言った文脈が違った形で編集されてしまったり、取材意図とずれる場合もあり、トラブルの種になりかねない。

だから私自身、たとえ徹夜で24時間働く必要があっても、絶対に他の人に途中で取材テープを渡したくはないんです」

取材対象者からしても、藤村さん個人との信頼関係があるからこそ、取材を承諾する場合が多い。だから、自分の企画の面倒は、最後まで自分が責任を取るのがスジだと、藤村さんは考える。

しかし、責任を取るからには必然的に長時間勤務にならざるをえず、家族と家事・育児を計画的に分担する必要がある。

「子どもの保育園の送り迎えは、私と主人、母と義母の4人体制。母や義母には、週1回ずつ毎朝6時には家に来てもらい、朝食の準備や洗い物、洗濯や洗濯物の畳みから、娘の保育園の送りまでしてもらった。当時は2人とも働いていたのに、大変な負担をかけたと思っています」

お迎えは基本、夫婦で分担したが、藤村さんの出張時やオンエア前の繁忙期は、それもできなくなり、ピンチヒッターをお願いすることもしばしば。もちろん、藤村さんも限界まで、時間をねん出する努力をしてきた。

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