型破りすぎる!伝説の「東大の日本史」問題

解答へのダメ出しがそのまま問題に

さて、東大の先生が受験生の答案にダメ出しして再出題したのは、次のような問題である。

ダメ出しされた答案の内容とは?

【問】<※(ア(イ)(ウ)(エ)の4つの資料は省く>
藤原実頼・頼忠が朝廷の人々から軽視された事情と、藤原公実の要求が白河上皇に聞き入れられなかった事情とを手がかりにしながら、(ア)・(イ)のころの政治(筆者注:摂関政治に関する資料)と(ウ)のころの政治(筆者注:院政に関する資料)とでは、権力者はそれぞれ、どのような関係に頼って権力を維持していたかを考え、その相違を150字以内で述べよ。

 

藤原実頼・頼忠、および藤原公実という名前をご存じだろうか? きっと知っている人はそう多くないであろう。当然である。教科書での扱いはほとんどない。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」(この世は自分のためにあるようなものだ。満月のように何も足りないものはない)といった歌を詠んだことでも有名な藤原道長とその子・頼通は、摂関政治の最盛期を極めた人物としてよく知られている。

しかし、彼らより少し前の時代に生きた藤原実頼・頼忠父子は、10世紀の摂関政治の時代に関白となったものの、道長・頼通父子のような権力を持ち得なかった。

一方、藤原実頼・頼忠父子よりも後の時代の藤原公実は、11世紀後半に院政を開始した白河上皇に関白就任を拒否された。その理由を、与えられた(ア)(イ)(ウ)の史料および天皇と藤原氏の系図(エ)から考え、摂関政治と院政における権力のよりどころの違いを答えよ、というのが本問の趣旨である。

そして、ダメ出しされた答案は以下の通りである。

<NG解答例>
(ア)・(イ)は、摂関時代のことを述べた文章で、この時代には、摂関家の推薦により高い地位とよい収入を得ようとした受領層の支持を受けて、摂関家が政治の権力を握った。(ウ)は、院政時代のことで、この時代には、権力者の上皇が下級貴族や武士を院の近臣として組織し、その力を背景にして権力を握っていた。

 

さて、この答えのどこがいけないのだろう。みなさんにも考えて頂きたい。

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