”あうんの呼吸”はアジア人にしか通じない 多文化コミニュケーションの極意

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相手の個性やバックグラウンドの幅の大きさもリスクに

最近経験した事例だが、たとえば労働者のストライキへの対応を検討しているときに、とあるインドの女性(ちなみに某大手戦略コンサルファーム出身で、高等教育を受け論理思考能力も極めて高い)が「そんなことしたらおびえていると思われる。私の父はインド軍の幹部だから、そんな弱気な対応はできない。私はどんなに危険でも一人で行く。護衛をつけたら、怖がっていると思われる」と強硬に反対された。

インド人だからというよりこの方の個性によるところも大きいのだが、国際環境だと相手の個性の幅と文化的常識の幅が共に格段に広がるため、一緒に働く上で予期せぬ不確定要素が増える。だからこそ人種のるつぼと言われるアメリカなどは、時に過度とも思われるまでにすべて約束事を明文化する契約社会になったのだろう。実際、契約書を作るときなどにひとつ一つの言葉の修正にかける弁護士費用とエネルギーは並々ならぬものがある。

この明確な契約行為に不慣れなことが、日本の会社が海外に出て行ったときに失敗する一因になる。たとえば某建設会社が中東でプラント工事をしているときに、メソポタミアあたりの遺跡が出土して工事がおじゃんになったり、雇った現地の社員が全然働かなかったり、パートナーシップを組んだ現地の会社に契約書で出し抜かれたり、といった“あらかじめ決めていなかったことで損を被る”ことが多い(ちなみに遺跡が出土して工事がおじゃんになったときのための遺跡保険というのもあるらしい)。

明確すぎるくらいの意思表示を~学校教育の弊害

仕事上、戦略的にそうする必要がないのならば、われわれは衝突を恐れず(当然リーズナブルであるという前提付きだが)明確に意思表示する必要がある。国際的な環境では婉曲な言い回しで真意をくみ取ってもらおうと期待できる場合ではないのだが、たぶんに教育プログラムに問題があるように思われる。

たとえば国語の問題などでも、今読み直しても訳わからん、どうとでもとれるあいまいな書き方の記述に関して「筆者の意図はどれか、選択せよ」と求める問題が多い。

これに対し、(ビジネススクール出願者が受験する)GMATなどの米国型の試験では、徹底的に明確な論理思考、クリティカルシンキングが試される。文部科学省と学校関係者の皆様には、国際社会で通用するコミュニケーション能力を育成するためにも、明晰な論理思考能力を鍛えるプログラムも子供たちに提供すべきと進言申し上げたい(念のために言うと、別に文章の美しさや文化を楽しむための国語教育を廃止せよと言ってるのではなく、せめて論理教育と両立したらいかがですか、と言う意味である)。

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