村上隆(上)「世界で勝つには、勘・挨拶・執念」 アートの世界で、僕が生き残れている理由
――エロスは万国共通で受けますか。
僕の彫刻作品のことを言っているんだと思いますが、エロスはアートの世界の1つの避けられない文法です。それとは別に、パーティ等でのいわゆる下ネタも、品が悪くならないレベルであればいいかもしれない。
ダミアン・ハーストという、世界のトップ・オブ・ザ・トップに立つ英国人の現代美術家は、僕のような英語の下手な人間に対しては、携帯に格納している、数千枚のおもしろ画像を見せてくれて、場を和ませてくれますが、その中にきちっと品が悪くならないようにエロスが忍んでいたりしています。
だからといって、日本のサラリーマン的なキャバクラ嬢自慢レベルにはならない。ココがジェントルマンなお国柄なんでしょうね。感心しています。
――著書の『創造力なき日本』の中で、“尋常ではないほどの執着力”と、“何があってもやり通す覚悟”が成功につながると記しています。
そのとおりです。それしかないのではないでしょうか?
自分の執念とは、「初めて行ったNYのギャラリーやミュージアムで見たアート作品たちに負けない強い作品を造り、アートの世界に歴然とある、西欧至上主義に風穴を開けたい」ということなのですが、志はまだ達成されていません。ゆえに今も、ただただ集中して一点突破を夢見て、日々制作に明け暮れています。
――その執念も含めて、何かの分野に努力し続けられること自体が、才能なのでしょうか。
今となっては、そうかもしれないと思わざるをえません。僕より絵が上手だったり、すばらしいアイデアマンたちがたくさんいたのに、 今、いなくなってしまった。その実態を見ると、そうかもな、と思います。
「三つ子の魂百まで」といいますが、才能は、教育しようが、しまいが、関係ないのかもしれませんね。子どもは、親や親が所属しているコミュニティを見て育っています。親やそのコミュニティの価値観どおりに育つ子もいれば、反面教師として育つ子もいます。ですが、今、日本のマジョリティがグダグダになっているのは、最小単位でのコミュニティの中での、社会構造の設定ができていないからだと思います。