共通項も多いが、特徴的な違いもある。米国で完全に「アウト」なのは「差別」でくくられるものだ。
一方で、日本では、「格差」「ねたみ」「やっかみ」を根っこにした「不満」や「怒り」、結婚や子育てなどに関する価値観の相違等から起こる対立などが目立つ印象がある。
「炎上」後の許容度もかなり違う
グローバル化、デジタル化で、国境の壁が低くなっていく中で、米国的な物差しが日本にも波及していけば、さらにモノが言いにくくなっていくのかもしれない。一方で、「失敗」をすれば、その「恥」は一生背負い続けるべきと考えられる「恥の文化」日本と、例え「失敗」を犯しても、懺悔をし、悔い改めれば、許されるべきと考えられる「罪の文化」である米国では、「炎上」後の許容度もかなり異なる。
そもそも欧米企業は不祥事においても、日本に比べ、謝り方も非常にあっさりしたものだし、一度、謝ればみそぎは済んだばかりに、あっけらかんとして、通常モードに戻ってしまう。立ち直りの早い米国企業にとっては、10年以上前に製造した加湿器の回収を呼び掛け、いまだ謝罪のCMを流す日本企業の律儀さなどにわかに信じがたい。
極端にリスク回避志向の高い日本企業や日本人が、加速度的に増殖する地雷原を前に、足をすくめてしまうことにならないのか。非寛容化する世界を生き抜くためにも、ますます高度なコミュ力が求められる時代ということなのだろう。
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