中国で引っ張りだこの日本人俳優が見た現実 現地の映画・ドラマ50作品に出演、16年の軌跡

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矢野浩二(やの こうじ)/1970年生まれ。大阪府出身。2000年に中国ドラマに出演したのをきっかけに、数多くの映画、ドラマで出演する一方、バラエティー番組にも積極的に出演し、中国で高い知名度を獲得。2015年には年日本政府から日中の綜合理解に貢献したとして外務大臣表彰も受けている(写真提供:オスカープロモーション)

野嶋:矢野さんは2001年に中国に進出されましたが、それまで日本人の中国の俳優観は、1980年代までに流行した日本映画から知った高倉健とか山口百恵、田中邦衛などが主流で、そのあと1990年代以降のイメージは途切れてしまいます。

「日中友好」の次の時代を芸能の面から矢野さんがほとんど一人で支えたことはすごい。この間、日常的に中国のメディアなどで露出できている日本人は矢野さん以外にほぼおらず、空白の期間を支える貴重な存在だったと思います。

矢野:この16年というのは、ある意味、日中関係が安定した時期ではなかったので、振りかえれば山あり谷ありでした。そういう時期があったからこそ、自分も日中関係のことも考えるようになりました。

自分さえよければいい、自分が活躍できればいい、ということでは中国とはやっていけない。全体をみて何が大事かを考えないといけない。そういう機会は滅多にあるわけではない。そういう境遇にあることで、考えながら困難を克服していく機会を持つこともできました。

国と国が安定しない時期も「平静」に向き合った

野嶋:日中関係の悪化で急に仕事が止まってしまうケースもあったと思います。中国では政治問題はすべてを超越してしまう傾向がありますから。

矢野 なかなか日本の常識ではあり得ないことです。悩んだりしたこともありましたが、同時に日中関係のことを考えるようになりましたね。

野嶋:日本と中国は、政治が安定しないと文化交流も難しいでしょうか。

矢野:国と国が安定しないと何もできないわけではないし、どういう状況でも文化交流は継続しないといけない。自分はある意味で、いつも「平静」という思いを大事にしてきましたし、これからもそうでありたい。いろいろあっても一喜一憂せず、「平静」に向き合っていく。中国でも「平静」の大切さはいろいろな場所で語ってきました。

野嶋:それにしても、中国で16年の役者業というのはすごいですね。映画やドラマには合計で何本ぐらい出たのですか。

矢野:映画とドラマでおおよそ50本ぐらいになると思います。

野嶋:大変な数です。テレビのレギュラーもありましたね。

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