(第18回)人の死の扱われ方・その2

山崎光夫

 人は「出生証明書」によってこの世に個人として認知され、「死亡診断書」によってこの世とサヨナラするのである。
 いずれも紙切れ一枚で処理される。
 以前、大学受験生を揶揄して、「紙切れ一枚に身をたくす」という歌が流行ったが、考えてみると、人生の節目節目に「紙切れ一枚」が顔を出す。結婚も離婚も「紙切れ一枚」の出来事である。

 監察医は地方公共団体に勤務する医官で、死亡の原因をはっきりさせる必要のある変死体を診る医者である。東京都のほか、大阪、横浜、名古屋、神戸などに監察医を置く政令が公布されている。これが監察医制度であるが、予算の関係で十分に機能していない面が取り沙汰されて久しい。監察医の多くは詳しく死因を追究すべき環境をもっと整えるべきだと訴えている。
 人の死がどう扱われるかによって、さまざまな問題が生じてくる。その結果、天地の差が生まれてくる。

 たとえば、マンションの工事現場から作業員が転落死する事件が発生したとする。警察は通報を受けて現場に急行する。監察医、あるいは警察医も呼ばれる。警察は誰かに突き落とされたという犯罪も疑い捜査に入る。
 このケースでは、行政解剖した結果、作業員の心筋梗塞が原因と判明した。すると、この場合、本人に原因があるとされ、ふつう労災の適用からはずされる。

 トラックにはねられ老人が死亡した。誰が見ても明らかに交通事故である。それでも死因を追究すべく、行政解剖した結果、老人はトラックにはねられる直前に脳出血で死亡していたことが判明した。トラックにはねられたことが死亡原因ではなかった。つまり、交通事故死ではない。保険金に雲泥の差が出る。トラックの運転手も過失致死罪からまぬかれる。
 「死亡診断書」の主な死因を書き込む項目に、「脳出血」と「車の衝突によるショック」と記入されるのでは天地の差が生じるのである。

 死因を明らかにすることで大犯罪が露呈するケースもある。昭和六十一年に起きた妻を殺害したトリカブト事件がその典型である。この保険金殺人事件が露呈した背景には、犯罪を立証しようと地道に死体を診ていた医者がいたからだった。この事件で犯人は沖縄において三人目の妻を殺害してまんまと保険金を手に入れた。上手くやったつもりでいたのだろうが、場所が悪かった。沖縄だった。

 沖縄は戦後長くアメリカが統治していた。アメリカには死因をはっきりさせる医療風土がある。戦後、日本に監察医制度の導入を強く指導したのはGHQである。沖縄の医者は本土の医者と違って、不審死の血液を採取して保存する習慣があった。この保存血液が犯罪を立証したのである。ところで、このトリカブト事件で犯人は、毒物を研究の末、天才的ともいえる毒を作り出し、アリバイを作っていた。即効性のトリカブト毒(アコニチン)に遅延性のフグ毒(テトロドトキシン)を混ぜていたのである。関係者を長い間欺いていたが、凍結保存されていた血液の丹念な分析で犯罪は露呈した。
 悪いことはできないのである。
山崎光夫(やまざき・みつお)
昭和22年福井市生まれ。
早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て、小説家となる。昭和60年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。特に医学・薬学関係分野に造詣が深く、この領域をテーマに作品を発表している。
主な著書として、『ジェンナーの遺言』『日本アレルギー倶楽部』『精神外科医』『ヒポクラテスの暗号』『菌株(ペニシリン)はよみがえる』『メディカル人事室』『東京検死官 』『逆転検死官』『サムライの国』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『北里柴三郎 雷と呼ばれた男 』など多数。
エッセイ・ノンフィクションに『元気の達人』『病院が信じられなくなったとき読む本』『赤本の世界 民間療法のバイブル 』『日本の名薬 』『老いてますます楽し 貝原益軒の極意 』ほかがある。平成10年『藪の中の家--芥川自死の謎を解く 』で第17回新田次郎文学賞を受賞。「福井ふるさと大使」も務めている。
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