副都心線を救った「見えない難工事」の全貌 2つの工夫で難関をクリア
2008年6月14日、東京メトロの副都心線が開通した。開通と同時に東武鉄道の東上線、西武鉄道の西武池袋線からの直通運転も開始され、埼玉県南部から練馬にかけた一帯と都心の通勤事情は一気に好転するはずだった。
だが、この直通運転は開業早々大きくつまずいた経緯がある。実際の開業は混乱を避けて土曜日に行われたのだが、それでもダイヤは大きく乱れ、15〜20分遅れといった事態が続出。また、ダイヤの混乱による運転の途中打ち切りも発生し「これでは何のための直通運転なのか、わからない」という批判の声がネット上にあふれた。
2日後の16日(月)から平日の通勤ラッシュが始まると、事態はさらに厳しいものとなった。連日、ダイヤの混乱を経験することになった多くの利用者からは「こんなことなら副都心線などできなければよかった」という怨嗟の声さえ聞かれだしたのだ。
副都心線、開業時の混乱の理由?
混乱を招いた原因はハッキリしていた。小竹向原駅の配線がネックだったのだ。乗客の利便性を考えて2面4線の島型ホーム構造にしており、西側の「西武有楽町線(練馬方面)」と「東京メトロ有楽町・副都心線(和光市方面)」は立体交差するように設計されていたので問題はなかった。
だが、東側の千川駅との間には「平面交差」が設置されていた。ここがダイヤの乱れの原因となっていたのだ。当座の措置としては、ダイヤ改正という「対症療法」で何とかしのぐしかなかった。
それから8年の年月が流れた。この8年間に、副都心線は大きく運行体系を変えた。2013年に東急東横線・みなとみらい線との直通運転が始まったからだ。この直通運転は、「東武東上線、西武池袋線、東京メトロ副都心線、東急東横線、みなとみらい線」を一つにした、全国でも珍しい5社が参加した直通運転体制となっている。
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