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「『坊っちゃん』はコンプライアンス小説である」漱石が描いた学者の盲点と「まちがえた」と言える条件

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千円札の夏目漱石の肖像
漱石が「坊っちゃん」で描いたエリート像から学ぶべきこととは?(写真:johan11/PIXTA)
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與那覇:注目すべきは、外形的にはこの「赤シャツ」こそが、漱石にいちばん似た登場人物なんです。帝大卒で文学趣味があり、欧米通のインテリ。漱石は自分に似た学歴エリートをあえて悪役にすることで、学者が思い上がってはだめだよ、そうでない人にも彼らの人生や、真理や、正義感があり、いつか必ず反撃されますよという小説を書いた。

森本あんりさんの『反知性主義』が説くように、本来の反知性主義とは知性の否定ではなく、インテリではない庶民が「俺たちにも知性はあるんだぞ」と主張する運動のことです。専門家だって自分の専門以外は素人だし、この世には学問とは別の正しさの基準もある。そうした謙虚さを失ったときに、学者は社会の信用を失うのではないでしょうか。

舟津:だとすると、学者として必要なことは、やっぱり間違えたと言えることなんだ、という結論なのかなと思いますね。

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與那覇:『なぜ「まちがえた」と言えないのか』でも採り上げたとおり、平成までは実例が多くありました。経済学者の中谷巌さんや浜田宏一さんは、政府に提言した政策の誤りをそれぞれ認め、国際政治学者の田中明彦さんも、イラク戦争でアメリカを信じたことへの反省を述べている。それが令和にできないというのは、さすがにおかしな話です。

舟津:コンプラの立場から言うなら、間違えた人をキャンセルするのは間違いだ、とはっきり言わないといけませんね。捏造や改竄のような悪意のある間違いはダメ、というのも学者のルールです。

でも、その時に精一杯考えた結果の善意の間違いは、間違いとして認めればいいし、キャンセルの対象でもない。間違いを認めたら消される社会では、余計に誰も間違いを認められなくなる。ルールを明示しないまま日本型のゼロトレランスをやりすぎると、かえってずるい人だけが生き残ることになりかねない。

與那覇:ずるい人を退治するために「一発退場」的な制裁の厳罰化を進めると、かえって間違いを認めた誠実な人ほど真っ先に処分され、居直って絶対に認めない人や、追及されても話をそらす人ばかりが残ってしまう。手段と目的が完全に倒錯していますね。

舟津:ゼロトレランスやキャンセルカルチャーそのものが悪いというより、無条件に肯定して濫用していった結果、まともな人ほどその場から去る。そこがいちばん大事なところだと思います。

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