秀吉によるバテレン追放令は、キリスト教を日本から消し去るものではなかった。宣教師のなかには潜伏して活動を続ける者も多く、秀吉自身も、南蛮貿易の利益は手放さなかった。抜け道の多い禁令だったのである。
家康もキリスト教を黙認したが
秀吉の死後、天下を握った徳川家康も、当初は貿易を続けるために、キリスト教を黙認した。ただし、フィリピン長官への返書では、日本は神国であるとして、外国の宗派の布教は認めていない。
この「神国」こそ、追放令の第1条に掲げられた理屈である。幕府は慶長17(1612)年に直轄地で禁教とし、慶長18年12月(西暦1614年2月)には、日本を神国とする文書とともに、全国へ布告。右近は慶長19(1614)年に、マニラへ送られた。
秀吉が箱崎で掲げた旗を、幕府は引き継ぎ、宗門改めや寺請制度などを整えて、禁教を固めていく。
【参考文献】
ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳『完訳 フロイス日本史』(中公文庫)
藤井讓治著『豊臣秀吉 秀吉新王ニナリ秀長ハ関白ニ成ル』(ミネルヴァ書房)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
安野眞幸著『改訂増補 バテレン追放令 16世紀の日欧対決』(ちくま学芸文庫)
渡邊大門著『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)



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