晩年には、88歳の誕生日に秘書のジョック・コルヴィルから贈られた“ジョック”がお気に入りに。ジョックは、白い胸と足先を持つ生姜色の猫でした。ジョックが食卓にいないとチャーチルはディナーをとらなかった、とまでいわれています。
チャーチルは「ジョックという名のマーマレード猫を常に置くこと」という、奇妙な遺言を残して、この世を去りました。邸宅では、今でもジョックという猫が飼われています。
迷い猫を家に置いたら人生が一変
1904年の夏、千駄木にあった夏目漱石の自邸に、トラ模様混じりのグレーがかった黒い子猫が迷い込んできました。妻の鏡子が何度追い出しても、気がつけばまたいつのまにか入ってきてしまいます。鏡子が困っていると、漱石がぽつり。
「そんなに入ってくるんならおいてやったらいいじゃないか」
妻の鏡子は乗り気ではなかったようですが、家に来る按摩さんから「福猫だ」と言われたことで、大切にするようになったとか。
当時、漱石は30代なかば。英語教師でしたが、ロンドン留学を機に、神経症状が深刻な状態にありました。このときはまだ、自分が国民的作家になるなど、夢にも思っていなかったことでしょう。
ところが、猫との生活が始まったことで、運命が一転! 漱石を心配した、友人の高浜虚子から「気晴らしに小説でも書いてみたらどうか」と声をかけられて、俳句・文芸雑誌「ホトトギス」に漱石が書いたのが、『吾輩は猫である』です。猫がやってきた翌年の1905年に発表されています。
当初は読み切りの予定でしたが評判がよく、全11回の連載に。漱石を一躍有名にするデビュー作となりました。偶然の迷い猫が、創作の原点となったのです。
『吾輩は猫である』といえば「吾輩は猫である。名前はまだない」という書き出しが有名ですが、飼い猫にも名前はつけなかったようで、漱石はそのまま「猫」と呼んでいたとか。
また小説が売れて「猫好き作家」と呼ばれるようになると、漱石は反発して、友人にこんな告白も。
「猫は好きじゃない。犬の方がずっと好きです」
口ではそう言いながらも、1908年9月13日に「猫」が死ぬと、漱石は書斎裏の桜の木の下に埋め、門下生数名に「猫の死亡通知」を送り、「この下に稲妻起こる宵あらん」という句をささげました。
漱石先生、立派な猫好きじゃないですか。


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