いよいよ秀吉による天下統一が近い。そんなムードを察知してのことだろう。
天正13(1585)年10月には長宗我部元親、同年12月には小早川隆景・吉川元長、そして天正14(1586)年6月には上杉景勝……と、秀吉を訪ねて諸大名が、京都・大坂に集うようになった。
快活な性格で知られた秀吉のことだ。大げさに彼らを迎える様子を、横で秀長は目の当たりにしたことだろう。
同時に、兄の表情にわずかに陰りがあることも見逃すことなく、こんな思いを抱いたのではないだろうか。
「あの人さえ来てくれれば、兄者も心から安心できるのだが……」
秀吉が上洛を待ち望んだ人物、それは徳川家康である。
家康とにらみ合い続けるのを避けたい
小牧・長久手の戦いで激突した両者は、痛み分けで事実上の和睦となったものの、完全な関係修復とは言いがたかった。しかし、秀吉としては、このまま家康とにらみ合うのは避けたい事情があった。
秀長が総大将を務めた四国征伐によって、長宗我部元親を降伏させた今、秀吉の狙いは、九州にあった。
九州では大友氏と島津氏が争うなか、劣勢に立たされた大友宗麟が、秀吉サイドに援軍を求めた。窮地に陥った宗麟の手を取った秀長が、こう言って安心させたという逸話はよく知られている。


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