ちなみに今回のイベントに前後して、SNS上では、過去にAdoさんが参加していたロックフェスで、寄せ書きの中央に大きなサインを書いていた件も話題になっている。こうした出来事なども複合的に重なった結果、「公共の場でも、自らのルールを押し通す存在」といった誤解を広げてしまったのではないか。
「顔を出さない」は逃げなのか
もうひとつ考えられる理由が、顔を出さない活動スタイルだ。Adoさん自身は、ニコニコ動画を中心に広がった「歌い手」文化を自らの活動の出発点だと説明している。本名や素顔を出さず、ニックネームやキャラクターのアイコンなどで活動する文化だ。ライブでも「Adoボックス」と呼ばれる箱型のセットの中で歌い、観客には逆光に浮かぶシルエットしか見せないのが定番だ。
反面、そうしたネットカルチャー文脈を知らなければ、「正々堂々と戦っていない」「逃げている」と受け取る人も出てきて当然だろう。
しかしながら、容姿や素性を明かさないこと、それそのものは、プラスに働く側面もある。歌唱力や声質などに注目を集められるからだ。歌声に集中させたいと思った場合、覆面での活動には一定の利がある。
同じく顔を出さない活動をするアーティストは、「ずっと真夜中でいいのに。(愛称:ずとまよ)」や「ヨルシカ」など、近年増えている。しかし、彼らにはAdoさんに対してのような批判があまり見受けられない。どこが違うのだろうか。
ひとつ考えられるのが、楽曲制作への関与度だ。ずとまよでは、ボーカルのACAねさんが作詞・作曲も担当。ヨルシカはボーカルのsuisさんと、コンポーザーのn-bunaさんで構成されている。


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